幼児教育を語るひろば

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七夕あれこれ

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 園児が作ったミニ七夕飾り


今日は七夕です。 幼稚園や保育園では、子どもたちが作ったミニ七夕飾りが
賑やかに飾られていることでしょう。

子どもたちは短冊に願いごとを書いて、七夕のお星様( 牽牛星と織女星 )に
叶えてくれるようにと祈りました。

竹の枝に願いごとを書いた短冊を吊り下げる風習は、江戸時代になって町人の間に広まったようです。


私が子どもの頃は、朝 植物の葉に溜まった露を集めて墨をすり、短冊や色紙に有名な和歌や俳句を書くと、書道が上達すると言われました。

七夕のお星様とは、天の川を隔てて相対している牽牛星(わし座の1等星アルタイル)と、織女星(こと座の1等星ベガ)のことです。七夕の日に、牽牛星と織女星が、1年に1回だけ会えるという中国の古い伝説が日本に伝わってきました。

日本にも棚機女(たなばため)の信仰があったので、中国の伝説と合体して、現代のような七夕の行事になりました。


だいぶ前に、仙台の七夕を見学しました。仙台の七夕は、1ヶ月遅れの8月6〜8日に行われます。豪華なくす玉や五色の吹き流し、賑やかな短冊飾り
など、団体や商店が意匠を凝らして飾りつけます。

幼稚園の七夕飾りと比べれば、見物客の度胆を抜くものばかりです。東京の近郊では、福生や平塚の七夕が有名です。

何れにしても、商魂の目立つ集客目的の観光行事になっていますが・・・


ところで、棚機女信仰が七夕行事の基盤に根強く残っている地域が、今でもあります。棚機女は、水辺の機屋で神を迎えるという行事なので、その翌日には、神を送るために人々は禊(みそぎ)をしました。

この名残として、七夕が終わったら七夕飾りを川に流したり、子どもに水浴びをさせたり、女性が髪を洗う儀式が行われたりしています。厄払いの行事でもあったのです。


七夕祭りが水と密接な関係を持っているとは言え、2〜3日前から日本中が大雨の被害を被っています。洪水・土砂崩れによる災害情報が、各地から寄せられます。心配です。

災害がこれ以上大きくならないように、広がらないように、心から祈ります。




スクール・フォー・アフリカ

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 木芙蓉 ( 2018, 7. 2 写す 例年より開花が早いのでは? )


ユニセフ・ニュース 258号が送られてきましたが、中に表題の募金案内が同封されていました。

そこには「 小学校に通うことができない子どもが、世界に約6100万人 」という、ショッキングな見出しがありました。

多くはアフリカの子供たちですが、特にサハラ以南のアフリカの地域に暮らす子どもたちの、約21%(=5人に1人)が、学齢期を迎えても小学校へ通えていません。


「 スクール・フォー・アフリカ 」は、その子たちが学校に通い、卒業できるように支援していくための募金プログラムです。

ユニセフのホームページを見ると、募金は西アフリカ・ブルキナファンの子どもたちのために役立てられているようです。

ブルキナファンはサハラ砂漠南に位置し、現地語で「高潔な人々の国」という意味があるようです。それなのに、世界で最も貧しい国の一つで、生産人口の80%が農業に従事しています。ただ気候変動を受けやすい地域なので、農業も振るいません。

ブルキナファンの子どもの多くは、牧畜や行商の下働き、他家の使用人などになって暮らしています。

この子たちに学びの場を保証したり、学び直しの機会を与える活動は大変だと思います。でも日本からの支援が、たくさん届くことを期待しています。


ユニセフ・ニュース 258号に、ヘンリエッタ・フォア ユニセフ事務局長の言葉が載っていました。

「 若者たちが、一生でとても重要なその時期に、仕事はもちろん、生きるために必要な力を身に付けることができれば、彼らはアフリカの成長を大いに助けてくれるはずです。 」


日本では、不登校の子どものことが話題になります。アフリカの学校に行けない子どもとは、根本的に違う背景があります。

いずれにしても学校に通うことができない子どもの問題は、早急に解決しなければならない大きな国家的課題です。



忙しい学校


ゆり ( スカシユリ?・テッポウユリ? ) ( 2018, 6. 30 写す )


「ゆとり教育?」が批判されて 「詰め込み教育?」が復活したと思ったら、
忙しすぎる学校が問題になっています。

朝日新聞では、教員の働き方について3回の特集記事が組まれました。
(「オピニオン」欄で)

過労死ラインを超えて働く教師の実態も、紹介されました。多忙な学校の様子も、詳しく調べ上げていました。


私の現職時代を振り返っても(すでに20年余を経過)、学校は忙しかったように思います。私自身、私生活より学校を優先していました。

当時も、勤務時間が「セブン・イレブン」だと揶揄されました。教員が勤務時間を口にするのも、タブー視されていました。


教員の仕事とは何でしょうか?

授業が第一であることは、いうまでもありません。 教員と子どもの間には、教育内容が存在します。この内容がどのように子どもたちへ伝達され、受容され、あるいは発見の手助けになるかが、授業の大きな役目です。

そのために、授業の準備に多くの時間を費やしました。
先ずは子どもの個人差を明らかにして、それを最大限に発達させるようにしなければなりません。

そのためには、子どもの自由・興味・活動などを、できる限り尊重して、自発活動を最大限に発揮させる教育方法を考える必要がありました。


授業以外にも、多くの時間を取られました。

登下校の見守りから始まって、教室環境の点検整備・成績物などの処理・クラブ活動の指導・保護者への連絡や面談・地域行事への参加・職員会議や学年打ち合わせ会・研修会や研究会への参加・校内任務 (係活動や動植物の管理)・・・  と、確かに多忙でした。


学校は、勤務時間が組織的に管理されているようでされていないという実態があります。何よりも教員自身が、時間管理の意識が薄かったように思います。

ところで現代社会は、人間能力の多面的で高度の開発や人格形成を重視するようになりました。「ゆとり教育」でも「詰め込み教育」でも無い、新しい学校の任務について考える時がきました。

現代社会は、技術革新の急激な発展に伴い、益々機械化・組織化が進みます。人間疎外状況を深刻にして行くことは避けられません。

「考えない人間」が増加する中で、「考える人間」をどう育てるか?  教育改革の大きな柱だと思います。教員に対する期待も多くなるばかりです。

でも教員の最も根源的で重要な役割は、専門職であると同時に自身の人間的自覚を持った誠実な態度だと、私は信じます。

どんなに忙しくても、教員の能力が十分に発揮できる場ならば、忙しさは必ず克服できると思います。



児童憲章

凶悪事件を憎む
26日 富山市で警察官(46歳)を刺殺して拳銃を奪った男が(21歳)、逃げた先の小学校で警備員(68歳)に発砲して殺害するという凶悪事件が発生しました。

小学校は授業中でしたが、約400人の児童は教職員と共に体育館へ避難して無事でした。何よりのことです。


児童憲章
ところで子どもに関わる痛ましい事件・事故が、相変わらず後を絶ちません。

わいせつ目的で女児を殺害・親による幼児の虐待死・違法ブロック塀の倒壊による小学生の死亡事故・集団登校の列に突っ込む自動車事故・・・ など。 


昭和26年(1951年)5月5日、「児童憲章」が公布されました。
憲法では、個人の尊厳と人権の保障が謳われています。その精神に従い児童憲章が定められたのです。

その前文の中に、「児童は、人として尊ばれる。」・「児童は、社会の一員として重んぜられる。」・「児童は、よい環境の中で育てられる。」 とあります。

具体的には、「十二」の項目が定められています。その「一」・「三」・「十」には、次のように記されています。


一、すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障
  される。

三、すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、疾病と災害からま
  もられる。

十、すべての児童は、虐待、酷使、放任その他不当な取扱いからまもられる。
  あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。


いずれも絵に描いた餅・絵空事になってはいないでしょうか?


すべての子どもたちには、やがて日本の将来を担う大事な役割があります。

「子宝」・「三尺の童子を拝す」・「七歳までは神の子」  
いずれも先人たちが残してくれた大切な教えです。


子どもの側から考えるとどうなのでしょうか?

少子化の影響もあって、今の世の中友だちがなかなか出来ません。仲間が集まって、外遊びをする機会もありません。

必然的に様々な遊び方を工夫し、それぞれの力を出し切って十分に運動し、遊びまわる機会も場も失われてしまいました。

出世主義・エリート教育・差別化・・・  依然として根強く残っています。子どもたちは知識中心の勉強に追われ、社会性が育ちにくいのが実状です。

多くの親は、遊びまっわて服を汚し、喧嘩をしてトラブルを持ち込むのを避けます。おとなしく机に向かって、勉強したり本を読んだりする子を好みます。

あるいは、テレビの前にじーっと座って見ている子、I T ゲームに夢中になっている子の方が、手間がかからず良い子だと思っています。

また、子どもの欲求を先取りして、妙に物分りの良い親、子供との葛藤や抵抗から逃げる親、増えているように思います。

子どもに関わる事件・事故と、無縁では無いような気がしてなりません。



広島紀行

広島から戻りました。広島には何べんも行きながら、景勝地と言われる鞆の浦へはまだ足を運んだことがなかったので、今回出かけて来ました。

鞆の浦は瀬戸内海のほぼ中央に位置し、昔から潮待ち・風待ちの港として栄えました。歴史的な事件や様々な伝説が残っています。

坂本龍馬の船「いろは丸」が衝突して沈んだのも鞆の浦で、彼が一時隠れていたという家も保存されていました。

ジブリのアニメ「崖の上のポニョ」の舞台も、鞆の浦だそうです。ハリウッド映画のロケ地としても利用されています。

鞆の浦に浮かぶ周囲6Kmの仙酔島は自然が豊かで、海岸の五色岩や海食洞も見事です。福禅寺對潮楼から眺めた仙酔島の風景も素晴らしいものでした。



シンボルの常夜灯
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昔ながらの街並み

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古刹・福禅寺對潮楼
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仙酔島(五色岩が望める)