幼児教育を語るひろば

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五月 ( 皐月 )


サツキ ( 2017, 5. 26写す )

鉢植えだったものを地植えにしたら、大きくなって玄関先を占有しています。


皐月(さつき)は、旧暦の5月のことです。「さ」には田植えの意味があって 「さなえづき(早苗月)」、 つまり田植えをする時期なので 「 さつき(皐月)」 となりました。

植物の「サツキ」はツツジの仲間ですが、一般のツツジより1ヶ月くらい遅くに咲きます。旧暦皐月(今年は5月26日〜 )の声を聞くと花が咲くので、サツキと呼ばれるようになったようです。



  五月の山里    枕草子より

 五月ばかり山里にありく、いみじくをかし。沢水もげにただいと青く見えわたるに、上はつれなく草生ひしげりたるを、ながながとただざまに行けば、下は
えならざりける水の深うはあらねど、人の歩むにつけてとばしりあげたる、いとおかし。
 左右にある垣の枝などのかかりて、車の屋形に入るも、急ぎてとらへて折らんと思うに、ふとはづれて過ぎぬるもくちおし。よもぎの車に押しひしがれたるが、輪のまひ立ちたるに、近うかかへたる香もいとをかし。



詩人の蒲原有明氏は、「 よもぎの車に押しひしがれたるが、輪のまひ立ちたるに、近うかかへたる香もいとをかし。という表現 は、五月の頃の清新の香りが
巧みに詠まれ、日本文学の象徴的なもので、後の詩人たちにも大きな影響を与えた。」 と言ってます。


6月1日からしばらく留守にします。 広島の娘の家を拠点に、 私も中国地方の山里を訪ねてみようと思います。できれば瀬戸内海を船で渡り、金比羅詣でも
してきたいと思っています。
しばらくの間ブログを休みます。




アメリカ人気質

トランプ大統領の身勝手な言動が、話題になっています。マスメディアとの対立も報じられています。身内の共和党や同党寄りのメディアまで、大統領に物申しています。

トランプ大統領に反対するデモが、今も続いています。自由の国アメリカらしい混乱ぶりです。これもアメリカ人気質の表れでしょうか?

アメリカは移民の国ですし、国家としての歴史も浅く、国民気質も多様です。だから自分の考えを主張し、自分を守るのは自分しかいないという傾向が強いのです。良く言えば個性尊重、悪く言えば自己中心です。


子育てにもこの気質はよく表れています。いくつか紹介してみましょう。

日本人は、意識するかしないかは別として親の財産を当てにします。親もせっせと財を増やして、子供のために残そうとします。

ところがアメリカ人は、親は親 子供は子供の考えが徹底しています。外出先で親は豪華なレストランで食事をしても、子供はカフェテリアで質素な食事で済ませます。

観劇でも両親は着飾って特別席、子供は天井桟敷で別々でも当たり前です。乗り物でも、親は一等席 子供は普通席が常識です。誰も不思議に思いません。

しつけは学校に期待することではありません。しつけは家庭の問題です。それに宗教が(キリスト教)、しつけの土台にあります。

子供が悪いことをすれば(モラルに反する行為も)、家庭の(地域も含めて)問題として注意します(叱ります)。自分の子供だけではありません。近所の子供が悪いことをした場合も同じです。

「言うことを聞かないから、学校で先生が叱って下さい。」 と、親が先生に泣きつくようなことはありません。

アメリカ人の子育てで感心するのは、負け方上手な子を育てることです。1度や2度の失敗や敗北にも、びくともしないような子に育てます。

アメリカ人は、「 失敗の無い人生など、あり得ない。だから早くに負け方上手のくせをつけてやって、回復力の強い人間に育てる方が、何よりも大事で幸せな
こと。 」 と言います。

アメリカの親は、子供へ安易に小遣いを与えません。小遣いが欲しければ、自分でアルバイトして稼ぐように勧めます。

アメリカの子供のアルバイトとしてよく耳にするのは、芝刈り・ベビーシッター・農場や牧場の作業・スーパーやファーストフードチェーンでの皿洗い・・・ などです。ただ最近は、未成年者の就業規則が州によって厳しいところがあるようで、アルバイト事情も変わってきたと言われます。

以上はアメリカ人の自立心を育てるのに役立っています。


日本ではどうでしょうか?  負けるのはかわいそう。 劣等感を持たせてしまう。 だから転ばぬ先の杖、競争は避けて、安心して人生が過ごせるようにレールを
敷いてあげよう。 そんな雰囲気はありませんか?


アメリカ合衆国第39代大統領ジミー・カーターは、ピーナッツ大統領とも言われます。彼がジョージア州の農家で育ったことにも由来します。

自伝で彼は、こんなことを書いています。

ピーナッツの時期になると、午後には父の畑に出かけ、ピーナッツの蔓を土から抜き取って、小さな荷車に積み上げ、家の庭に運んでくるのが日課であった。緑色をした蔓から豆をもぎとり、殻についている泥を落とすため水を汲み上げながらよく洗い、一晩中水につけ、次の朝塩水でゆでるのである。約半ポンドずつを約20の紙袋に入れ、およそ2〜3マイルほど汽車の線路づたいにプレインズの駅まで歩いて、そこの通りでゆでたピーナッツを売ったのであった。全部売ってしまった時は、また、家に戻って同じことを繰り返した。

ピーナッツ販売はその頃の私にとっては、大事業に思えたが、少なくとも私が小さな実業家であったことにちがいはない。ピーナッツを売って1日約1ドルの総収益をあげ、日曜日には度々5倍のピーナッツを売った。だから私が9歳になる頃には、5俵の俵を買えるだけの金の貯えがあった。



日本人気質はどうでしょうか?  儒教精神が色濃く残る日本の風土です。子育ては、やはり過保護ではないでしょうか?



中正

共謀罪法案 に反対します。

「中」は会意文字で、いずれにも偏らない真ん中を意味します。ですから「中正」・「中央」・「中心」・「中立」・「中庸」・「中軸」・「中和」・・・ などという言葉が生まれ
ました。

日常生活でも、偏らないで真ん中を行くということは、なかなか難しいことです。ましてや政治の世界では、不可能に近いようです。

昨日 共謀罪 (組織的犯罪処罰法改正案)が、衆議院の法務委員会で野党の反対を押し切って強行採決されました。この法案は、「共謀罪」では聞こえが悪いというので、「テロ等準備罪」と呼び変えられました。

多くの世論調査でも、賛成・反対意見が拮抗しています。まだまだ議論が必要な法案だと思いますが・・・

与党と野党の考え方には大きな違いがあります。融和点を見つけるのは難しいことも分かります。それならなおさら議論を深める必要があると思います。


話は飛びますが、化学変化で酸と塩基が過不足なく反応して、塩と水を生じる変化を中和と言います。

酸と塩基が中和するときには、熱が発生します。性質の違う両者が中和するのですから、熱の発生は自然の理です。

中和は一般的には酸と塩基の溶液での反応ですが、気体や固体の反応でも起きます。水溶液が酸性でもアルカリ性でも無い状態を中性と言います。リトマス試験紙を浸しても、赤・青共に変色しません。


話をもとに戻しますが、政治の世界で融和(中和)することは、許されない慣例のようです。白か黒か決着つけるのが、大向こう受けすると考えているきらいがあります。

中和がダメなら 中正はどうでしょうか?   どちらにも偏らない程良い立場が、政界にもあって良いのではないでしょうか?

いずれにしても共謀罪法案の審議を、もう少し深めて欲しいと思います。与・野党の議員を酸・塩基に例えるのは失礼ですが、国民の関心が強いこの法案に対し、国民の代表としてもっと熱意を持って熱心に取り組んで中和点を見出して欲しいと、心から願っています。



好きこそものの上手なれ

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祝 眞子さま婚約
秋篠宮家長女眞子さまの婚約が報じられ、日本中が祝賀ムードに湧いています。最近は国の内外で、悪いニュースが多すぎます。久しぶりにそんな雰囲気を吹き払ってくれるような、明るいニュースです。眞子さまが、素敵な家庭を築かれるように、心からお祈りします。


好きこそものの上手なれ
現職中 6年生を担任していた時に、今でも忘れられない出来事がありました。

H 君からこんな質問をされました。
「先生は、勉強が好きだったの?」 と。学校の先生になったくらいだから、「先生は勉強が好きなんだ。」と、子供たちは勝手に決めていました。

「勉強は嫌いだったよ。」 期待はずれの私の答えに、子供たちは一瞬耳を疑うような素振りでした。

するとすかさず H 君は、「じゃァどうして先生になったの?」 と、問い返してきました。確かに勉強嫌いが、子供たちの先生になって、「勉強しなさい!」 と言うのは矛盾しています。

私は慌てて、言い訳まがしく付け足しました。「子供の時代は、みんな勉強が嫌いなんだよ。でも勉強の基礎は、子供のうちにやらないと、覚えられないのだよ。だから嫌いでもやらないと!」 「少年老い易く、学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず。という諺もあるくらいだから・・・ 」 と。

さらに「若い時は二度と無い、今遊んで過ごしたら将来きっと後悔するし、幸福な人生は望めない。」 と、偉そうに説教しました。

すると H 君は、「子供は可哀想だなァ。ぼくは遊んでいる時が、一番幸福なんだけど・・・ 」 と言いました。
私は今でもこの時の H 君とのやりとりが忘れられません。

もし子供時代 に、 「 勉強! 勉強! 」 とお尻を叩かれて遊ぶ機会が無く、不幸にして早逝するようなことがあったら、その子は一生幸福を知らないまま人生を終えることになってしまいます。

子供時代には、子供時代にしか得られない喜び・楽しみ・幸福感があるはずです。だから嫌いな勉強を無理強いするのは、考えものです。


この時以来私は、子供たちへこう答えるようにしました。

「 勉強は嫌い! と言う前に、勉強全体をよく見てご覧。勉強の中には、これは面白そうだ とか、これは好きになれそうだ というのが、必ずあるものだよ。」

「 教科でも 算数は嫌いだが、音楽は好きだ とか、 漢字は苦手だが 詩を読むのは楽しい ということがあるね。」

「 [ 理科は難しいけど 動物は可愛い ]・[ 教室での勉強は嫌だが 校庭で運動するのは得意 ]・[ 歴史上の英雄を調べたり お城を見て歩いたりするのは大好き ]・・・ など、 よく探すと、嫌いな勉強にも面白いことや好きなことが一杯あることに気づくよ。」

「 そうなれば 好きこそものの上手なれ! で、好きなことにはやる気も起きるし、熱心に取り組むことも出来るね。」

「 嫌いな勉強を、そうやって好きになろうよ。するといつの間にか勉強好きになるし、成績も上がるよ。 下手な横好き 、という諺もあるね。下手でも熱心にやっていると、上手になって行くものだよ。」



私は私の勉強観を、こう子供たちへ話すようになりました。 そして、嫌いな勉強を克服するように勧めました。



再 幼児教育

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紫蘭 ( 2017, 5.12 写す 狭いわが家の庭を独占する勢い )

S 幼稚園で指導していた頃を思い出しながら・・・

幼児はいたずらが大好きです。大人が止めても、なかなか止めません。大人にとっては大切な品物、散らかされては困る場所・・・ そんなことは関係ありません。また大人が忙しい時でも、仕事をしている時でも、彼らは自分の都合だけを考えて助けを求めにきます。

幼児は何かをやっているのに、自分の興味をひくような面白いことに出会うと、やっていたことを放り出してそっちに手を出します。

大人から見れば、迷惑な行動です。でも気をつけて観察すると、幼児期は新しい事象に出会うと、何故だろう?  どうしてだろう?  と、色々と試行錯誤している場や状況であることが分かります。

園児たちは、遊戯室の大型積み木を持ち出してそれを積み重ね、その上に立ったりそこから飛び降りたりしました。園庭のケヤキの木にもよじ登って、景色を眺めたり枝にぶら下がったりしました。子供は高いところが大好きです。大人は、落ちて怪我でもしたら大変と心配しますが・・・

子供は、未知の世界を求めるために、 遠出をしたり探検に出かけたりします。
危険なことに遭遇しないかと、大人の心配をよそに・・・  帰って来た子供は、まるで大冒険を終えたように満足しています。

砂遊びやどろんこ遊びは、感覚に訴える快さがあります。鬼ごっこや隠れんぼも、体を動かす快感があります。遊びは、子供たちが快感を得るための手段です。だから子供たちは、遊びを繰り返して楽しみます。

いたずらや冒険を繰り返すのも、大事な遊びです。遊びを通して子供たちは成長します。

でも子供たちは、快感を求める遊びから卒業するようになります。やがて彼らは、創造的な活動へと発展して行くのです。

幼稚園(保育園)は、幼児がいたずらや冒険を思い切り出来る遊びの場であって欲しいと思います。危険が本人や他人に及ぶ心配がある時は、もちろん指導されます。でもそれ以前に、子供たち自身に危険を避ける能力が育っているのです。


「人間どう生きるか、どのようにふるまい、どんな気持ちで日々を送ればよいか、本当に知っていなくてはならないことを、わたしは全部残らず幼稚園で教わった。人生の知恵は、大学院という山のてっぺんにあるのではなく、幼稚園の砂場に埋まっていたのである。」 ( ロバート・フルガム )