幼児教育を語るひろば

幼児教育を語るひろば

清明

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サクラ  今年は、寒の戻りがあったので花持ちが良い。
          ( 2017, 4. 7 写す・ 千川上水沿いの ソメイヨシノ )


今頃の時期を「清明」と言います。万物が、清く明るく生き生きと感じる季節です。そして、「4月の風は光る」とも言われます。見るもの全て清々しく、希望に満ち溢れています。

実は 私の祖父の名が(父方の) 清明 です。

新年度もこの時期にスタートします。自然に恵まれた日本は、緑一色に覆われます。小川の小魚や水生昆虫たちも、元気に活動し始めます。

千川上水沿いの陽だまりで、小さな白い花をつけたナズナや、黄色い花のハハコグサを見つけました。袴をつけたツクシンボウの穂先を、春風が通り過ぎて行きます。冬ごもりをしていた虫たちも、目を覚ましたようです。

学校 (幼稚園・保育園も) も、新学年度の幕開けです。子どもたちも冬の寒さから解放されて、歓声をあげて外へ飛び出します。

欧米は9月が新学年度という国が多いようですが、そこが農耕民族と狩猟民族の違いでしょう。最近9月新学年度説を主張する人がいますが、日本の気候風土に逆らってまで変える必要はないと、私は思います。

関西では、男女共に13歳になると、4月13日には虚空菩薩にお参りして、知恵が授かるようにと祈る「知恵参り」という風習があります。( 「十三参り」 とも言われる。京都嵯峨の 「虚空蔵十三参り」 は有名。) 
やはり学問の始めは「清明」の季節です。


ところで幼稚園・保育園の新入園児たちも、無事入園式を済ませた頃だと思いますが・・・   元気で通園しているでしょうか?

幼児期は、優しい心を育てる大切な時期です。心の発達過程から考えても、人間性の基礎を培う適齢期です。

幼児は、アニミズム的な考え (全てのものには、魂や感情があると考える。) を持っています。ですから草花がしおれると、 「のどが渇いたのね。かわいそうに。」 と、話しかけます。

茎が折れたりすると、自分が骨折したように痛みを感じたりします。また生物ばかりでなく、椅子や机を叩くと、椅子や机が痛がると真剣に思います。

このアミニズム的な考え方は、未発達段階における大事な思考形態なのです。
人はこの頃に、他を思いやり、他の痛みを感じ取るという大切な心情が育つ
のです。

この時期に大人が子どものアニミズム的な考え方を否定したり訂正したりすると、子どもは情緒の発達が乱されて、弱いものをいじめたり、物を粗末に扱ったり、攻撃的な心情が強まったりするのです。

幼児期の優しい心は、物事を深く考え、工夫する力を生み出します。それはやがて、人として正しいことを最後までやり遂げる強い精神力へと成長して行くのです。


調べる

園児たちに、こんな話をしたことがあります。

地震がいつ起きるか?    火山がいつ噴火するか?    自然の変化に気づいたか?   

それらを調べるためには、複雑な仕組みの機械や、地面の変化を調べる装置が必要です。

複雑な機械や装置を使わないと、地震や火山のことを調べるのは無理なのでしょうか?   

「子どもでも調べられます。」  私は子どもたちに言いました。

私たちは、わからないことを調べるのに、大変役立つものを持っています。それは、私たち自身の体です。

先ず第一に「目」があります。目でものを良く見ると、色々なことに気づきます。ものの「色」・「形」・「大きさ」・「感じ」などです。

そして、「白い」・「黒い」・「赤っぽい」・「尖っている」・「丸い」・「キラキラしてうぃる」などと、事象の様子がわかります。自然の変化に、気づくかも知れません。

次に「手」です。手の色々な部分と比べて、「親指くらいの大きさ」・「人差し指と親指を拡げた長さ」・「手を拡げたくらいの大きさ」・「手を握ったくらいの大きさ」など、大きさや長さがわかります。

また手でものに触れて、「硬い」・「軟らかい」・「ざらざらしている」・「すべすべしている」・「冷たい」・「暖かい」や、手に乗せて「重い」・「軽い」などがわかります。
噴火前の地面は、温度が変わっているかも知れません。

わたしたちの手や目は、ものを調べる大切な用具になります。他には目や手の働きを助けるために、簡単な道具もあります。

「虫眼鏡」は、ものを拡大して細かい部分までよく見ることができます。凸レンズや凹レンズを組み合わせると、望遠鏡や顕微鏡の働きもします。

「物差し」は、ものの長さを正確に測り、長さを比較する時にも役立ちます。「秤」はものの重さを調べるのに、「枡」は量を測るのに便利です。「ナイフ」や「ピンセット」も、手の働きを助けます。

高価な機械や装置がなくても、自分たちの体の働きや簡単な道具を使って、身の回りのことを調べることができます。それが、ものを調べる時の基本の姿勢なのです。   ・・・と



近頃の若者は・・・

テレビを見ていたら、某会社の入社式に多くの親が付き添って参加していました。そう言えばだいぶ前から、大学の卒業式や入学式にも親が参加しているのが、話題になっています。

幼稚園や小学校ならまだ分かりますが、髭を生やした大男や結婚適齢期の女性が親に付き添われて入社式とは、後期高齢者と言われる我々年配者には理解し難い現象です。


キリンやシマウマは、生まれて1〜2時間もすれば、時速何十キロメートルで走り回ると言われます。その代わり、妊娠期間は350日ほどで、母体でしっかり育てられます。

ライオンやトラは、生まれた時は目も見えず耳も聞こえません。もちろん走り回ることなど出来ません。妊娠期間も100日ほどで、母体で十分に育ってはいません。でも親が猛獣ですから、外敵が近づいて来ないので安全です。

人間はどうでしょうか?  妊娠期間は280日前後もあり、キリンやシマウマに近いのです。 それならしっかり育っているかというと、生まれてからも世話が大変です。

生まれたばかりの赤ちゃんは、歩けないし食べ物を自分で食べることも出来ません。少なくても母親は、1年間は片時も目を離さずに育児に関わらなければなりません。

1年も経つとヨチヨチ歩きするようになりますが、だからもう独り立ち出来るか?  というと、そうではありません。社会生活に適応するようになるまでには、まだ十数年間はかかります。

人間 元々は手がかかるように出来ているので、入社式の付き添いも仕方ないのでしょうか?

それでも江戸時代以前は、10〜15歳で男子は「元服」 女子は「髪上げ(結髪)」して、大人の仲間入りをしました。今は20歳にならなければ、「成人」として認められませんが・・・

近頃の若者を見ると、肉体的な成長は早いが、精神的にはなかなか大人になれません。そんなことを言うのは、年寄りの冷や水でしょうか?

ついこの間、18歳以上に選挙権が与えられました。選挙権を得たということは、「独立した社会人としての自覚と責任において行動しなさい。」 ということなのです。

「独活の大木」 と言う諺があります。肉体的な成長が早く体だけが大きくなっても、何の役にも立たない若者ばかりが増えるのでは困ります。「山椒は小粒でもピリリと辛い」 例え体は小柄でも、中身だけは大きく優れた人物であって欲しいと願っています。

若者の頼りなさを嘆くのは、老人の悪い癖かも知れません。でも裏返せば、それだけ若い人たちへの期待が大きいのです。



一期一会 (今を大事に)

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椿(十数年前に大島で苗木を買い求めたもの 2017, 3. 29 写す)


茶道・華道・香道・書道・歌道・柔道・剣道・・・ と、日本文化は「道」の文化です。
中でも茶道は、千利休(1522〜1591年)によって確立された日本文化の代表格です。

利休の有名な教えに、「茶の湯の本義は、家は漏らぬほど、食事は飢えぬほど
にて足ることなり。」という簡素を追求した言葉があります。

小さな茶室で作法を大事にした利休が、大茶会で華々しい宴席を好んだ秀吉と対立したのも頷けます。さび・わびの枯淡な日本的な美的情趣を大切にしたのが、利休の茶道なのです。

一期一会の「一期」は、人の一生と考えたらよいでしょう。一生の中できょうの「一会」は、とても大事な出会いだということです。

私たちが知人・友人と巡り会えたのは、まさに一期一会です。それは、生きているという喜びに通じます。そして今私たちは、人生を真剣勝負の場として生きているのです。

言い換えると、一期一会は今を自覚することです。今が、真剣勝負の場なのです。今を私たちが連続して行けば、人生は生涯を通じて一期一会です。

利休は「いつもこの一杯の茶は、生涯の最後の一杯という心構えで頂きなさい。」と、言いました。私はこの言葉を「出会いを大事にしなさい。」という意味で、受け止めています。

4月は、多くの出会いがあります。新しい出会いを恐れずに前向きで取り組めば、たとえ期待はずれの結果になっても、後悔は残らないと思います。

進学・就職・転勤・転居・・・ それぞれに新しい出会いが待っています。その出会いが、 人であっても事象(新しい環境など)であっても、 一期一会の心で接すれば心配はありません。

今こそ、「今」という時を大事にして頑張りましょう!



忖度 (森友学園問題)

森友学園の問題で、「忖度」という言葉が話題になっています。森友学園の小学校設置認可をめぐり、財務省が学園側に有利となるような忖度をしたかということです。

国会で安倍首相は「そのような忖度は、絶対にしていないことは明らかだ!」と、繰り返し答弁しています。

大阪府の松井知事は、日本維新の会の総会で 「安倍首相は、忖度があったと
はっきり言うべきだ。」  と、述べています。 そして、 「 忖度には、 良い忖度と
やってはいけない忖度がある。」と言います。


「忖度」 とは、他人の気持ちを推し測ることです。「忖」 は人の心を表し、「度」 はそれを測ることです。人の心を推し測るということは、言うは易く行なうは難しです。

勝手に人の心を忖度するのは、かえってその人のためにならない結果を招くことになりかねません。やってはいけない忖度です。

悪智慧に長けている人は、都合よく忖度してもらうように奸智を働かせることさえあります。森友学園の籠池理事長が、そうだったのかどうかは分かりません。でも今回の問題には、やってはいけない忖度が働いたような気がするのは
拭えません。

100万円の寄付問題をはじめ今回の事件では、誰かがウソをついているのでしょう。うまくその場はごまかせても、後からバレてくるのがウソです。

「 1つのウソを通すためには、20ものウソを工夫しなければならない。 」 と、 スウィフト は言います。

一方で忖度を防ぐために、智慧のある人・優れた才能を持っている人は、むやみにそれを人に見せびらかしたりしないと言います。つまり、能ある鷹は爪を隠すのです。

「最悪の敵は、誉めそやす者なり」と、言います。今回の事件の背景には、森友学園の天皇中心の国家主義を基本とした教育理念に、賛同した安倍首相夫妻や多くの政治家の関与があります。

褒められたこと 賛同されたことで、籠池理事長も舞い上がったことは確かなようです。しかしそれが高じて真実が分からなくなり、気づいた時には四面楚歌、支援者たちがサッさと身を引いてしまったのです。

卑怯者は、自己の過失の言い訳をします。潔い人は、必ずそれを人に告白します。子供たちもこの森友学園問題に関心を持っています。1日も早く解決されるように願っています。