幼児教育を語るひろば

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再び 教師論(2)

天動説がまかり通っていた17世紀初めの1616年、ガリレイ( 1564〜1642年、 イタリアの物理学者・天文学者 )は、「 いや、地球こそ太陽の周りを回っている ! 」と、地動説を唱えました。

世間はこの新説に大変驚きました。時のローマ法王は、キリストの教えに反すると猛反対し、地動説を説くことを禁止しました。ガリレイは捕えられ、新説の撤回を命じられましたが、真理を尊ぶガリレイは「それでも地球は動いている !」と、主張を曲げませんでした。

ガリレイの生家は貧乏な貴族で、呉服商を商いながら生計を立てていました。
父親は、「世の中で大事なのは金だから、金儲けのために頭を使え !」と、いつも
彼に言いました。

でもガリレイは金儲けには無頓着で、幼い時から金属片・木片・ガラス片・錆びた釘・糸巻き・・・ などのガラクタを拾い集め、それらをいじくり回したり組み立てたりして工作活動に熱中していました。


教育で大事なことは、人生全体を通じて自己の可能性に挑戦する永続的な学習意欲を持つことです。このような自己の人間形成に対する強い意欲や態度を啓発することこそ、学校教育の最も根本的で重要な任務であり、教師の重要な責務と言わなくてはなりません。

とすると教師たる者は、終生変わることなく、一貫した自己の人間形成に誠実に努力する態度、ゆるぎなき真理探求の精神を失ってはならないということです。


教師にとってもう一つ大事なことがあります。それは言い古されてつい忘れてしまうことなのですが、「教育愛」です。子供が可愛いと思えない人は、教職には不向きです。

全人教育を教育活動の中心概念としたペスタロッチは ( 1746〜1827年、 スイスの教育学者・ルソーの教育観を継承 )、「 道徳的・宗教的・知的・身体的諸能力の全体的・調和的発達を目指す教育こそ真の教育である。 」と言いました。つまり、人間性(人格形成)を重視したのです。

人間性を重視するということは、人間らしく生きるために、創造性の育成・主体性の確立・意欲的な人間たるための意欲の高揚に深い関心を払わなくてはなりません。すなわち、「教育愛」の理念を重視することに他なりません。


教師は教師自身に権威があるのではなく、あくまでも平凡な一人の人間に過ぎません。ですから教職の責務の重さを深く自覚し、常に厳しい自己反省を怠らず、真理の探求に真剣に取り組む姿勢を堅持しなければなりません。

「 教育は子供との愛の交流である。」と、古人は言いました。教師の人格的な影響力が、教育の根源的で重要な領域でもあるのです。



再び 教師論 (1)

部活のやり過ぎで暴力を振るう先生、児童買春や児童ポルノ所持で検挙される先生、先生(教師)の品位が問われる事件がマスコミを賑わしています。

裏を返せば、それだけ国民の教師への関心や期待が深いということです。


教師とは、「教育活動によって報酬を得る職業」 と前に書いたことがあります。
一方で、「教育者」という言葉があります。

教育には、生活の中で様々な外部の事物・環境から与えられる無意図的な感化・影響力があります。他にも意図的・組織的な教育活動が存在します。

実際に私たちは、多くの人間関係や社会事象から影響を受けながら生活しています。そこには知らぬ間に、教育的関係が成立しているのです。

要するに私たちは、学校で教師から学ぶだけで無く、人間社会の全ての事物や自然界の諸事象からも学んでいるのです。広義の「教育者」とは、それら全てを含めた言葉です。狭義の「教育者」は、教育的な人間関係を指すと言えます。


狭義の「教育者」の原点を探ってみました。

ギリシャ語の paidagogos は教育者という意味ですが、元々は子供の遊び相手をしたり、学習の援助したりする人たちのことでした。中には被征服者だった奴隷の中から優れた人物を選び出して、子供相手の使用人として利用した例もあります。紀元前4〜5世紀のことですから、教師の原型とも言われています。

古代ギリシャには、この他さらに二つの教師像が見られます。その一つはソフィストです。アテネを中心に、青少年が世に出て身を立てるための知識や弁論術を教えて回る職業的な教師の集団です。

ソクラテスに師事した哲学者のプラトンは、ソフィストは口舌の技巧によって民衆を欺瞞する詭弁家だと非難しています。「詭弁術を教え報酬を得る商人だ。」 とも言っています。


ソフィスト勢力に反抗し、決然と立って自らを絶対の無知者であるとしながら、正しい真理を現わすことをその使命としたのがソクラテスです。

ソクラテスは、「無知であることを知っている人は、知らない人より賢い。」と言います。また、「正しい知恵を持っていれば、罪を犯さない。」とも言います。

ソクラテスは、自分の考えを伝えるためそして相手の意見をよく聞くため、問答を重視しました。彼は、世間的な立身出世や経済的報酬を全く度外視し、教師は真理を明らかにし、人類を救済すべき聖なる仕事であると主張しました。

かれの教えのを引き継いだ人の中には、ギリシャ哲学を開花させたアリストテレスやプラトンなどがいます。


古代ギリシャにおいて、すでに三つの教師像を見ることができます。

1は 、paidagogos と言われる教師像です。
  今日で言う家庭教師的な役割でしょうか?

2は、ソフィスト型です。教育業者と言うのが当たっているでしょうか?

3は、ソクラテスに見られる真の教育者としての姿でしょうか?


これらの教師像から、教師のあり方を追求してみたいと思います。


放射線教育

放射線教育と言われても、実は馴染みの薄い教育活動です。福島県以外の自治体では、放射線教育を本格的に実施する例はまれです。

福島第一原発の事故で避難した福島県出身の子供へのいじめなどが発覚したことを受けて、文科省も14年に小・中学生向けに放射線に関する副読本を作成しました。


そんな背景から福島県浜通りの高校性16人が、べラルーシに派遣されました。隣国ウクライナで起きたチェルノブイリ原発事故の対応に当たった同政府関係者との面会や、放射線の研究施設、子供たちを放射線の低い地域で保養させる施設などの視察が目的です。


この様子が、朝日新聞 教育欄の「 いま 子どもたちは 」に掲載されています 。愛読している長寿記事です 。11月24日付から、副題「 福島の未来を学ぶ」で4回にわたって紹介されます。

派遣された高校生たちは、チェルノブイリ原発事故で強制移住させられた住民の31年後の苦悩の声を直接聞くことができました。高汚染地帯では、今でも立ち入りが禁止されています。

農業国の(特に酪農)ベラルーシですから、汚染された農地や飼料作物の放射性物質の除去や低減に力を入れてきました。31年経って、ようやくその成果が出始めてきています。


2011年3月に、福島第一原発の事故が発生しました。あれから6年余、福島から避難した人たちと移住先の住民との間で色々なトラブルが起きています。

賠償などを巡る避難者へのやっかみや陰口、避難してきた子供たちへのいじめ、その他様々な摩擦が数多く報道されています。

被災地の帰還可能地域は増えましたが、双葉郡から避難した人たちは、 未だに2万人余が避難生活を強いられています。派遣された高校生の中にも、被災者に対して後ろ向きのイメージを持っている子がいました。

でも被災者たちに言わせれば、原発事故さえ起きなければこんな非難は受けなかったと言うはずです。避難者全員が、故郷に帰りたい、元の生活に戻して欲しい、と願っているはずです。


帰国した高校生の一人は、「 将来は生まれ育った福島で就職し、故郷にずーっと関わって行きたい。」と言っていました。訪問の成果が見られます。


原発事故からの完全復興は望めないものの、放射線教育を通して多くの国民が復興意識を更に身近に感じて、風評解消にも積極的に取り組んで欲しいと思っています。




続 子供たちへ

私たちは、心の中に秤を持っています。自分と物事 あるいは他人をその秤に載せて、調和を失わないようにうまくバランスを取っています。

自分の仕事はやりもせず、友だちの仕事に口出ししたり手助けしたりするのは、単なるおせっかいです。
自分の務めに精一杯の努力をせず、友だちに助けを求めたり手伝ってもらったりするのは、単なる甘ったれです。

友だち同士が助け合う、協力し合うことは大切です。でも「 友だちを利用して楽しよう 」という分銅を、心の秤に載せてはいけません。

心の秤の一方の皿に「 友だちの悲しみ・苦しみ 」が乗った時は、もう一方の皿には「 可哀想だ どうして慰めようか 」 という優しい分銅を載せましょう。

羽毛のようにデリケートな人の心も測れると共に、地球を載せてもちゃんと目盛りを示す心の秤を持つ子供になりましょう。


今年も残り少なくなりました。年末年始の行事がいっぱい控えています。これらの行事は、祖先が残してくれた有形・無形の大切な財産であり、生活の知恵なのです。


12月22日は冬至ですが、この日には冬至がゆ・冬至カボチャなど特定の食物を食べ、ゆず湯に入る風習があります。そうすればその冬は風邪をひかないで健康で過ごせると信じられています。事実、冬の栄養補給の知恵なのです。

12月25日はクリスマスで、キリスト教徒最大の祝日です。キリスト教がヨーロッパに普及する際に、ゲルマン民族の冬至祭に近い日を選んで祝うようになったのが起源と言われています。冬の寒さに耐え冬至を祝うのは、洋の東西を問わないグローバルな行事です。

歳暮の時期が来れば、世話になった方々へ感謝の気持ちを込めて品物を贈る習慣があります。大切なのは、物では無く感謝の心です。


お正月の行事も色々あります。正月は、新しい歳神を迎え豊作と平穏を願う祭りとして古代から続いています。

正月には様々な事初めの行事があります。初詣から始まって、年始回り・初荷・書き初め・仕事始め・掃き初め・初釜・鍬初め・・・  など。事初めの行事には、事初めの覚悟と祝い事としてのしきたりがあるのを知りましょう。

年末年始の行事も、形だけで心が失われたら崩れてしまいます。崩さないためには、その一つ一つについて祖先の意図を想い起こし、現在に生かしながら伝承しなければなりません。

最近年末年始の行事は、生活になじみにくくなってきました。でも農耕民族である日本人の生活の知恵が、いっぱい詰まっています。

年末年始の行事から、日本を再発見するよい機会です。それらの行事を楽しみながら、先人の知恵を学び取りましょう。



子供たちへ

あなた方は今、色々なことで悩んだり不安を感じたりしていることでしょう。
学校・家庭・勉強・友だち・容姿や能力・異性関係・将来のこと等々、いっぱいありそうです。社会や政治のことで悩んでいる人もいるかも知れません。


人間が直立して歩くということは、他の動物には見られない特徴です。このことは形の上ばかりで無く、人の心を作り上げる上でも大きな影響力を持っているのです。

立つことによって、人は他の動物より遠くを見ることができました。そして色々な事がらを早く捉え、それに対応する心構えを持つことができ、やがて予知し予想する能力を育てました。

自分の足で立ち周囲をよく見回して、状況を判断しながら、それに近づいたり遠のいたりすることができるようにもなりました。

自分の足で一歩一歩目的に近づくことも覚え、未知の世界へも着実に接近して、新しい世界を開拓するようにもなりました。

あなたも自分の足で歩き、新しい世界を拓くことに大胆であって欲しいと思います。他人任せでノンビリ過ごしたり、自分の知り分かる範囲だけで行動したりするのは安易です。

でも私たちの祖先は自分の足で歩いて、それなりの努力や苦労を重ねながら自分たちの世界を広げてきました。

人が立ち上がって自らの足で歩き出した時に、文化の創造が始まったのです。
あなた自身の足で、力強く歩き始めることを期待しています。


独立独歩という言葉があります。誰かが何かを言っても、自分の信じた道を突き進む勇気を持ちましょう!


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