幼児教育を語るひろば

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国民学校時代

そもそも我が国は将軍家を宗家とし奉り、将軍様を古今に亙る中心と
仰ぐ主従一体の大家族国家であり、故に国家の繁栄に尽くすことは、
即ち将軍様の御栄えに奉仕することであり、将軍様に忠を尽くし奉る
ことは、即ち国を愛し国の隆盛を図ることに外ならぬ。 忠節なくして
愛国はなく、愛国なくして忠節はない。

この一文を読んだら、北朝鮮のことだと思いませんか? そのつもりで、
書き変えてみたのですが・・・・ 
朱書した部分に 皇室・天皇・君臣・忠君などを入れて、読んでみてくだ
さい。実は1937年文部省思想局が出した「国体の本義」という冊子に
ある文なのです。 当時この冊子は、小学校の卒業記念品などとして
配布されました。
文部省には、「思想局」というような部署があったのも驚きです。

1941年(昭和16年)4月から、小学校は「国民学校」と呼ばれるように
なりました。小学校低学年だった私は、改称の意味も分からなかったの
で、それで学校が変ったという記憶はありません。ただ世の中が軍国調
になってきたことだけは、子ども心にも感じていました。

前年の1940年は、第1代神武天皇即位から数え2600年ということで、
日本中がお祭り騒ぎでした。私たち小学生も旗行列に参加して日の丸の
小旗を振り回し、「バンザイ バンザイ」と浮かれていました。 大人たちも 
「八紘一宇」や「万邦無比」などのスローガンを掲げて、興奮していたのを
覚えています。

高学年になって、国民学校の意図が少し理解できるようになりました。
修身・国史・地理・体練(武道・体操)が、重視されるようになりました。

国史では、天孫降臨の神話に登場する「神勅」や 歴代天皇の名を暗誦させ
られました。「お歴代」と言われて覚えた天皇について、子どもたちは素朴な
疑問を抱きました。初期の天皇たちは、とても長寿で在位期間が長いのです。

第1代の神武天皇は、在位76年で127歳まで生きていました。(古事記では
137歳) 6代の考安天皇は、在位101年です。第10代までの天皇は、在位
期間54年以上が7人もいます。 このことを先生に質問しても、明確な答えは
ありませんでした。家では「そんなことを質問してはいけない」と、怒られました。

運動会では、男児は「竹やり」・女児は「なぎなた」のマスゲームがありました。
武道の成果の発表でもあったのですが、本土決戦になったら 「竹槍や薙刀で
アメリカ兵と戦え!」 ということでもありました。
国民学校の授業は、神国日本をバックボーンにした超国家主義・軍国主義の 
精神訓話が中心でした。
修身では(現在の道徳) 「軍神・肉弾三勇士(上海事件)」の話を、繰り返して
聞かされました。これが「神風特攻隊」に、つながって行くのです。

やがて太平洋戦争に突入するわけですが、「欲しがりません勝つまでは!」を
合言葉に耐乏生活をガマンするように、子どもたちはしつけられました。

戦争が激しくなってくると、学校行事が制限されるようになりました。 運動会
・学芸会なども、軍国調的なものだけが許されました。 遠足や修学旅行など
校外学習的なものは、殆どできなくなりました。東京の多くの小学校は、修学
旅行でお伊勢参りへ行っていましたが、それも中止になりました。 
お陰で私は新制高校卒業まで、遠足や修学旅行には行かず仕舞いでした。

「国民学校」も、死語になりつつあります。でも同じ過ちを繰り返さないためには、
語り継がなくてはいけないと思いました。


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