幼児教育を語るひろば

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8月になって

東京は、ここ2・3日涼しい日が続きます。
7日は、もう立秋です。梅雨明けがまだな地方もあるのに、秋が来ると言われても 
ピンときません。
ただ例年なら 7月に比べると8月は、だんだん気温が下がってきます。
秋が近づいて来るのは、確かなのです。

8月になると、嫌でも甦るのは戦争の記憶です。
8月6日は広島に原爆が投下された日・9日は同じく長崎に・そして15日が終戦・・・・ 
そんな日が続くので なおさらです。

また 8月には、月遅れのお盆があります。空襲で亡くなった小学校時代の友人が、
戻って来るような気がするのもこの月です。

広島には娘が住んでいるので、よく訪れます。
広島へ投下された原爆は、TNT火薬に換算すると2万トンに相当します。
爆発中心部の温度は、5千万~1億数千万度もありました。
爆風は大気圧力の数十万倍、90万トンの重量物を 地上3千メートルまで
持ち上げる力があると言われます。
当時広島市内の住宅戸数9万5千戸の9割が焼失、死者26万人 その何倍もの
負傷者があって現在も後遺症に苦しめられています。
原爆の恐ろしい爪跡は、今でも市内のあちこちに残っています。

戦争末期のわが家の状況は、いま思い出しても背筋が寒くなります。
父は軍需工場の舎監(寮長)に徴用され、家に帰るのは月2~3回でした。
空襲が激しくなって母と妹は母の実家に縁故疎開、弟は学童集団疎開で福島県へ、
家族バラバラの生活を余儀なくされました。

中学に入学したばかりの私は、毎晩のように発令される空襲警報に怯えながら 
ひとり家を守って頑張っていました。
昭和20年(1945年) 3月10日の東京大空襲で 通学していた中学校が焼け、
学校も休校になり 多くの友だちが東京を離れて行きました。
幸い私の家は焼け残りましたが、空襲警報が発令される度に 隣組の年老いた
班長さんに引率されながら逃げ回っていました。その恐怖感を、今でもはっきりと
覚えています。

「こんな思い出は早く忘れよう」 と思っているのに、この歳になると 益々鮮明に
蘇ってくるので不思議です。やはり、忘れてはならない体験なのだと思います。

私の好きな歌に、「夏の思い出」 があります。美しい尾瀬の自然に心が癒される
だけでなく、平和だからこそ口ずさめる歌だと思います。
「こんな思い出を歌える時が、いつまでも続いて欲しい。」 と、願っています。

   
    夏の思い出  (江間章子作詞・中田喜直作曲)
 
   夏が来れば 思い出す
   遥かな尾瀬 遠い空
   霧の中に 浮かび来る
   優しい影 野の小道
   水芭蕉の花が 咲いている
   夢見て咲いている 水のほとり
   石楠花色に 黄昏る
   遥かな尾瀬 遠い空  
         (以下略)


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