幼児教育を語るひろば

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暑気払い

手元の辞書に、夏の暑さを表す言葉が載っています。
猛暑・極暑・酷暑・大暑・炎暑・・・ などです。
文字を見ているだけで、暑くなります。

私が20~30代の頃は、まだ冷房設備が整っていません。
(特に昔の学校建築では・・・)
暑さ対策と言えば 日陰を選ぶとか 風通しのよいところ探すとか、そのくらいでし
た。後は、ウチワとハンカチが頼りです。

私は勤務が終わると 帰路同僚と駅前の屋台に立ち寄るのが、暑気払いの定番
でした。水割りの焼酎で気炎を上げ、暑さを忘れる夏のひと時でした。
本当は汗ビッショリになって、暑気招き以外の何ものでもなかったのですが・・・

冷房装置が無かった江戸時代は、どんな暑気払い法があったのでしょうか?
調べてみました。

夏は先ず家の戸・障子をすっかり外して、すだれを掛け 風通しをよくして 風鈴を
吊るしました。 その点木造家屋は、便利でした。 夕方になると家の前の路地に
打ち水をして 縁台を出し、うちわ片手に腰を下ろし 隣近所が集まっておしゃべり
です。これが最高の、暑気払い法でした。
と言っても ステテコ1枚の男どもが、いつも縁台を占領していたようですが・・・
「夕涼み よくぞ男に 生まれけり」 という川柳があるくらいですから。

女性や子どもたちは、ゆかたを好みました。当時は、着心地もよく 一番涼しい
衣服でした。たらいに水を張って水浴び、いわゆる行水もよくしました。

「見ぬようにしても 目に立つ緋縮緬(ひじりめん)」 と詠われます。 緋縮緬と
対照的な女性の白い肌を見たら 久米の仙人だけでなく、男どもは目が眩んで
しまったことでしょう。

お金持ちは、舟遊びです。 (納涼船と言っていた) 川面を渡る涼しい風に吹か
れながら 酒を酌み交わすのは、暑さ忘れに最適の場だったと想像できます。
アベック用には 「屋根船」と言って、外から見えないように 屋根や障子のある
船がありました。

今日夏になると、大がかりな花火大会が催されます。元々は納涼船で、自前の
花火を楽しんでいたのが起こりです。

七夕の頃には、「冷水売り」 というのがありました。湧き水を汲んで商売をした
ようですが、それにしても保冷をどうしたのでしょうか?

また 夏の夜には、街角に 「麦湯売り」が店を出しました。 行灯に 「むぎゆ」
という文字が浮かんで、夏の夜の風物詩でした。15~16歳の給仕女がいて、
色気も一緒に売っていたようです。

夜に涼を求めるのは、今も昔も変わりません。 「盆踊り」が生まれたのも、その
ためだと言う説があります。その説が、正しいような気がします。

江戸時代の暑気払い法が、現代でも活かせるように思いますが・・・ 
如何でしょうか?


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