幼児教育を語るひろば

幼児教育を語るひろば

お国のために

暮れに、北九州市在住の高校時代からの友人であるM氏(元偉大教授で私の陶芸
の師匠)が、来宅しました。彼は上京すると必ず拙宅に寄ってくれるので、私も再会
のひと時を心待ちにしています。

二人が出会うと、すぐに高校時代に戻るから不思議です。今回も10時ごろに会って、
近況や最近の陶芸の出来栄えなどを話しているうちに、気づいたらもう冬の夕闇に
包まれていました。

M氏が帰って、1週間が過ぎます。でも雑談の中で言った彼の言葉が、今も耳から
離れません。

「最近日本の国のため、と言うのは天皇陛下ぐらいだ。 政治家も実業家も、我々
自身も口にしなくなった。」 と言うのです。なるほど、言われてみればそうです。

「お国のため」という言葉が戦時中に悪用され、多くの人たちが命を失うことになり
ました。ですから、戦後は禁句になっていました。

オリンピック選手たちも 「オリンピックを楽しんで来る」とは言うけど、「お国のため
に闘って来る」 とは言いません。

ただ、WBCの原監督は 「サムライ日本!」 と気勢を上げていますから、「お国の
ため」意識が隠されているような気がします。

確かに 「お国のため」を合言葉に、国家権力が国民の言論・思想の自由を奪った
時代がありました。教育まで、それに加担しました。

国家権力によって思想統一が行われた結果、戦争を肯定するような 社会的風潮も
生まれました。そういう歴史があって、「お国のために」という言葉を使うのを、多くの
人々がためらいました。

私も教員になって、「お国のため」は、教育の目指す人間像とほど遠いような気がし
て、その言葉を避けていました。

でも、ずうっと気になっていたことがありました。それは国の安全が保障されなけれ
ば、平和も自由も、そして教育も期待出来ないということです。

衣食住の生活が、豊かになればよいのか?  というと、それだけでは国の安全は
保障されません。だからと言って、自衛隊の軍事力を増強すれば解決するかという
と、そういう問題でもありません。

明治の政治家たちは、天下・国家をテーマに論じていました。考えてみれば民主的な
人間を育てるには、民主的な社会を形成しなければなりません。 然し民主的社会と
個人を尊重する社会は、相容れないものがあります。

先日ラジオの報道番組で、ブラジル移住者の声を聞きました。彼らは言葉の端々に、
「祖国日本」・「愛する祖国」と話していました。彼らが言う愛する祖国日本は、故郷の
自然・人情・伝統文化を指しているのだと推測出来ます。

戦後私たちは一貫して 「平和と民主主義の日本」を、追い求めてきました。それが、
愛する祖国日本の理想像でした。でも未だに、実感出来ないでいます。
何故でしょう?

元東大総長の矢内原忠雄氏は、 「真に平和と民主主義の精神を堅持する者こそ、
現代日本の最大の愛国者である。」と、書いています。

矢内原氏の言う 「真に・・・・」の真を、私たちが曖昧に解釈しているために、平和と
民主主義が定着しないのではないでしょうか?

では誰が、「真に平和と民主主義を堅持する者」なのでしょうか?

政治家なら、国民生活の不安をなくして外交問題にも力を注ぐ人でしょうか? 
実業家なら、生産性を向上して利益をあげる人でしょうか?

その他、心豊かな人・好奇心が旺盛な人・自由な発想が出来る人・真理を追究する
人・思いやりのある人・誰からの指図も受けない自由気ままな人・・・・ 等々。
人それぞれの考え方や立場によって、ずいぶん違うと思います。この違いが、ネック
になっているのではないでしょうか?  

学校教育は、組織的に行われる教育です。一歩間違えると、教育統制にもつながり
ます。 その辺りを心得て、「平和的な国家及び社会の形成者となる国民の育成」
(教育基本法が示す教育の目的)に努めて欲しいと思います。

天皇陛下だけでなく私たちも、素直に「お国のために」 と言えるようになりたいもの
です。


しばらく広島へ行ってきますので、ブログはお休みします。
 No news is good news.

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://freesia7.blog10.fc2.com/tb.php/792-8690ef70