幼児教育を語るひろば

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謝罪会見

食品会社の偽装事件で、経営者たちの謝っている様子がテレビでよく放映されて
いました。

彼らは「申し訳ございません」と1人が言うと、申し合わせたように起立して深々と
頭を下げます。ずいぶん前からですので、すっかり見慣れた映像になりました。

食品会社だけではありません。暖房機メーカーも、自動車会社も、製薬会社も、
建築関連会社も、・・・・ さらには公務員の不正を詫びる、官公庁責任者の姿も
あります。

ある評論家は、彼らはちっとも謝っていないと憤慨していました。形式的に頭を下げ、不利にならないような言葉を選んで、その場をしのいでいるだけだと言うのです。

そしてある食品会社の社長が、「消費者様にご心配をかけ・・・・」という表現に噛み付いていました。「消費者様」とは、失礼な言葉だと言うのです。第一、そんな日本語は無いとも言います。「消費者の皆様」ならまだしも、「様」を付けたからといって許せる
ことでは無いと言うわけです。

評論家は、「ご心配をかけたのではなく、迷惑をかけ損害を与えたのだ。」とも言い
ます。全く同感です。


朝青龍と亀田大毅の謝罪会見にも、色々な意見が寄せられているようです。やはり
心から謝っている様子が、言葉や態度に表現されていないのではないでしょうか?

謝るということは、大変難しい行為です。自分のプライドを、捨てなければならない
時もあります。時には自分自身を、否定するような場合もあるのです。

いずれにしても大事なことは、謝罪の気持ちが相手に伝わることです。私たちは
本当に謝っているかどうかを、自ずと感じ取る能力を備えているのですから・・・・

ワシントン(アメリカ合衆国初代大統領)と、サクラの木の話は有名です。彼は斧の
切れ味を試すため、父親が大事にしていたサクラの木を切ってしまいました。父親
から問われた時、正直に申し出て謝りました。父親はその正直を褒めて、許して
くれたという話です。

ウソの謝りでは相手に通じませんし、謝罪にもなりません。多くの謝罪会見が本物であることを願っています。ただ謝罪が本物か偽物かは、時間の経過が必ず明らかに
してくれます。


コメント

謝罪の重要さ

初めまして、God-Bossと申します。
この記事に関して、私の考えをコメント致します。

先ず、“謝る”という事に関しての見解は、私も同意します。
最近の謝り方はどれも形式的且つ画一的であると思いますし、
そこから謝罪の気持ちを汲む事は、残念ながら適いません。

但し、私は謝罪自体に、余り重きを感じてはいないのです。
何故なら、謝罪を受ける側は如何しても猜疑の目で見てしまいがちですし、
する側も如何に誠意を持って謝ろうともその誠意は目に見えないもの。

>>謝罪が本物か偽物かは、時間の経過が必ず明らかにしてくれます。

という事は、逆に言えば時間の経過に頼らないと
謝罪の真意も、誠意も明らかにはされないという事ですよね。

では、最も直接的な誠意とは一体何なのか‥
と問うと、それは賠償金であったり、今後の優遇であったりする訳です。
結局可視的なもので無いと、人は満足しないのですね。
ならば、私は謝罪自体はもう程々にしておいて、
その代わり事態の収拾や今後の対策へ割くべきだと考えています。

‥何だか揚げ足取りみたいで申し訳ありません。
只、私がこんな考察が出来たのも、元園長さんの記事のお陰です。
宜しければ、これからも時々覘かせて下さい。
では、長文失礼しました。

God-Bossさんへ

ちっとも揚げ足取りではありません。あなたの思われるように、形式的な謝罪は無意味です。
武家社会での謝罪は、2通りあったようです。1つは損害を与えた以上の賠償を払うこと、もう1つは職を辞して身を引くか切腹することです。
謝罪して事態の収拾や今後の対策を考えるには、そのくらいの覚悟が必要です。そのような裏づけの無い謝罪は、所詮茶番劇に過ぎません。
話題が偏ったブログですが、どうぞお暇の折りには覗いてみて下さい。コメントありがとうございました。

  • 2008/01/03(木) 16:23:25 |
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