幼児教育を語るひろば

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秋風ぞ吹く

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 ムラサキシキブ  (画面をクリックして大きくして見て下さい)
           古くはムラサキシキミと言われたが(シキミとは重なる実の意)、
           ムラサキシキブに転じた。(自生・今頃紫色の実が熟す)


日増しに、秋が深まってきました

「稔りの秋」 「食欲の秋」 「スポーツの秋」などと言われるように、「秋」は、現代人にとって明るいイメージです。でも昔の人は、寂しい暗いイメージで捉えていたようです。

小倉百人一首に、次のような歌があります。

  奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の
     声聞くときぞ 秋は 悲しき   
(猿丸大夫)

活動的な夏が終わって、全てが休息期に入り、やがて来る厳しい寒さの冬を待つ間なので、平安人はそう感じたのでしょう。

同じ百人一首には、次のような歌もあります。

  月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ
     我が身一つの 秋にはあらねど  
(大江千里)

十五夜も過ぎて、23日は十三夜の月です。陰暦というくらいですから、月は陰のものなので、昔は寂しさを誘う存在だったようです。そう思うと、十五夜とか十三夜とかいうのは、我が身を忍ぶ寂しい行事だったのかも知れません?

「秋の夕暮れ」は、特に寂しかったようです。

  寂しさに 宿を立ち出でて 眺むれば
        いずこも同じ 秋の夕暮れ
  (良ぜん法師)

秋の夕暮れが寂しいというのは、日本人共有の感情のようです。清少納言も
「枕草子」の冒頭で、次のように書いています。

「秋は夕暮れ。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。」

しかし、昔の人はただ「寂しさが秋の中にある」と言っているわけではないようです。
それは、「秋を見る(感じる)人の心によって決まる」と、言っているのではないで
しょうか?

ですから、「秋の夕暮れが寂しい」というのは、その人の心が決めるのです。世の中
全ての事柄に付いて、言えることだと思います。みな自分の心から起きるのです。

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