幼児教育を語るひろば

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学力テストに思う

東京足立区の小学校で、学校の成績を上げるために、採点から障害のある児童を
はずしたことが、問題になっています。

前年度区内で44位だったこの小学校が、一躍1位に浮上しました。足立区では、
テストの成績の伸び率で、予算配分が判断されるという背景がありました。

学力テストの内容は、小学校が国語と算数です。中学校は、国語と数学、それに
英語が加わります。

足立区が区独自の学力テストを実施して、その結果を公表する意図は、支援の必要がある学校の底上げを図るためと、聞いていました。

でも現実は、区の意図するものと異なる状況が、生まれてしまいました。校長も教師も、そして親までも、学校の成績を上げることだけに、気を奪われてしまったのです。それが、プレッシャーにもなったようです。

足立区では、学校選択制を実施していますから、学力テストの結果が、「良い学校」
「悪い学校」の選別基準になっているそうです。そして学力テストは、学校間の競争を煽る結果にもなりました。

「学力」は、全ての学習の成果として得られるものです。それは、どんな能力が身に付いたかということです。言い換えれば、学ぶ力がどれだけ充実したか、ということでもあるのです。国語・算数の成績だけでは、とても図ることが出来ません。

こう言うと、「理想論」・「絵に描いた餅」と批判されます。でも現在の学校や会社の現状を見ると、テストの点数さえよければ安泰・出世コースという時代ではありません。

学校でも、会社でも、多様な能力が要求される時代です。社会性・芸術性・文化性、創造力・応用力・判断力・実行力・運動力、等々です。そして、何よりも大切なのが、豊かな人間性です。

(ライブドアや村上ファンドの事件は、それをよく物語っていると思います。)

五木寛之は、著書「他力」(講談社刊)の中で、こんなふうに言っています。

「先生も親もやわらかな心が欠けているのでは」
 最近、子供のいじめの問題や自殺が増えるなど、いろいろなことが次々に起きて
います。そこに何が欠けているかというと、いじめる子供にも、いじめられる子供にも、それから学校の先生にも親にも、感じやすいやわらかな心ではないかと思います。
 (中略)
 
 ところが、いまの日本の社会では、物の見方や価値観がかたよっています。一方しか見なかったり、一点しか見なかったりしている。女性的なものに対する偏見もすごい。また、知的なものに対しては高く評価するのに対して、情とか涙とかをとても嫌う。
 情というのは、じつに大事なことなのです。
 よく情報と言います。けれども、いま流れている情報は情報ではありません。情報というのは、悲しみとか怒りといった<情>がしっかりこもっていなければいけない。けれども、一般に言われている情報というのはたんなる数字です。
 本当の情報は人から人へ伝えられます。
 (後略)

 

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