幼児教育を語るひろば

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いじめと闘争本能

このところ、いじめの問題が色々と論議されてきました。何故いじめが起きるのか?

・学校(勉強)が、つまらないから。
・家庭(家族関係)が、つまらないから。
・友だち関係が、希薄だから。
・面白いこと、楽しいことが無いから。(刺激が無いから。)
・優しさや思いやりが、欠ける世の中だから。等々・・・


原因は多様なようです。

いじめの本質を知ろうとするなら、やはり人類の起源まで遡って考える必要があります。特に学校の先生方には、知って欲しいと思います。先生が知っていると知らないとでは、いじめへの対応が、ずいぶん違ってしまいます。

いじめは原始狩猟時代に、私たちの祖先が身につけた闘争心に、どうやら関わりが
あるようです。

当時の人たちは、次の2つの理由から、闘いを繰り返していました。1つは狩りをして食物を得るため、一定の地域に自分の縄張りを造って、侵入者と闘いました。もう1つは、仲間内での順位制を確立するために闘いました。

狩りは集団で協力しながら行なう方が、効果的で収穫も多いことは、原始時代の人たちもよく分かっていました。そのために、同じ縄張りの中で生活するために、色々な約束事が生まれました。順位制もそうですが、老若男女の役割、獲物の分配法などが決められました。

こうして仲間内での規制が確立すると、バランスの取れた生活が保たれるようになります。でも、個人への制約も多くなります。弱肉強食の世界ですから、不満が溜まり過ぎると、すぐに攻撃的行動に走って、一挙にバランスは崩れてしまいました。(いじめる子も、似たような不満があるのでは?)

攻撃的になると、体内では生理的変化が起きます。全て自律神経を介して、攻撃的な行動として現れます。生理的変化は疲れを忘れさせ、肉体的な闘争に、大量のエネルギーを補給します。(これが、闘争本能として、私たちにも残っているのです。)

攻撃的行動は、勝利をもたらす場合もありますが、敵の存在に対する恐怖心も誘発します。恐怖心は攻撃心を鈍らせます。ですから争う前は、「攻撃するぞ!」という気持ちと共に、「勝てるかな?」という迷いが、交錯しているものです。この段階では緊張が高まっていても、争いは始まりません。(いじめを止めるタイミングです。)

仲間内のバランスが取れていても、個体密度が高くなってくると、どうしても争いごとが起きてきます。集団が大きくなってくると、生活上のストレスも溜まり、それぞれの体内で、生理的変化が起きるためと思われます。(ストレスを溜めている子がいないか? 発見するのも教師の役目です。)

そうなると、順位制も関わってきますが、縄張り内での争いが始まります。自然界における動物たちの縄張り内の争いを見ると、闘いに破れた方は、もはや危害を加えられたり、迫害されたりすることはありません。それは「ジャングルの掟」と言われます。

ところが、いまの子どもたちのいじめはどうでしょうか? いじめは執拗に繰り返されます。いじめられた子は、逃げ場がありません。物理的にも、いじめた子から離れられない(同じ生活圏にいる)環境にあるためです。

でも、そうばかりではありません。いじめた子を調べてみると、攻撃的衝動が、何時までも治らないのです。(生理的にも冷静な平常の状態に戻らない。)

いじめと闘争本能の関わりが深いとしたら、どんな対策を講じたらよいでしょうか?
私は、次の5点を提案します。

1.挨拶を奨励する。
 頭を(目を)下げる日本の挨拶は、どちらかと言うと服従的な行為ですが、相手に対して威嚇的にならず、にらみつけるような態度にもならないので、良い人間関係づくりの第1歩となります。

2.優しい言葉で話す。
 相手に優しい言葉で話しかけることは、保護の感情を示すことになります。攻撃的感情の抑制に、一番有効です。

3.集団で遊ぶ。
 集団の中で遊ぶと、友だち意識が深まって、交友関係も安定します。攻撃的衝動や恐怖心も、集団の遊びを通してやわらげることが出来ます。

4.スポーツを楽しむ。
 スポーツは高度に様式化された闘争です。闘争本能をスポーツの勝敗に転化して、楽しむことが出来ます。

5.宗教心を培う。
 宗教は、スポーツより更に様式化された活動です。神仏を信じることで、その偉大な力に対する服従行動を身につけます。そして、攻撃的衝動を抑えることが出来るようになります。


 

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