幼児教育を語るひろば

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ひな祭り

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(ひな壇の間口35cm 奥行34cm 5段目の高さ23cm)

「ひな」には、小さくて可愛いという意味があります。雛と言うと、生まれたばかりの小鳥のことですから、それに由来するのでしょう。

そういえば、可愛い花をつける植物に「ヒナ」とつく名が多いのに気づきます。図鑑で調べると、「ヒナギク」「ヒナカヤツリ」「ヒナギキョウ」「ヒナゲシ」「ヒナスミレ」「ヒナチドリ」「ヒナノウスツボ」「ヒナノカンザシ」「ヒナノキンチャク」等々があります。

今のような「ひな祭り」は、比較的新しいようです。平安時代には貴族の子どもたちが、紙人形で「ひな遊び」をしていました。別に3月の節句と関係なくて、平常の遊びだったようです。

現在でもひな人形を、七夕(7月7日)や重陽(9月9日)の節句に飾る地方があるそうですから、その名残りかもしれません。5月5日端午の節句に武者人形を飾るのも、関係があるのではないでしょうか?

何でも室町時代には、3月の節句に関係なく、ひな人形と道具を若い女性に贈る習慣がありました。バレンタインデーやホワイトデーのはしりです。

江戸時代の初め頃までは、紙びなを飾っていました。白酒や菱餅は、すでに供えられていたようです。菱餅は菱の実で作った餅で、形に由来するわけではないと聞きましたが、どうなのでしょうか?

今のように、布製で公家の正装の姿になったのは、元禄時代のようです。江戸も半ばを過ぎると、ひな飾りは、だんだん派手になってきました。幕府は、わざわざ華美禁止令まで出したと言われます。

幕末頃は、人形制作技術も進み、商品化されていったので、7段飾り、8段飾りと、ますます豪華になりました。

ひな人形の調度品は、武家の嫁入り道具を模したそうですから、じっくり調べると、武家の内部事情が判って面白いと思います。

ひな祭りが女の子の祝い事になったのも、江戸の中頃からだそうです。そしていつの間にか、嫁入りにひな人形やひな道具を持参して、嫁入り後の初節句に、ひな祭りをするようにもなりました。

写真のひな人形は、家内が生まれて、初節句の時に買ったと言いますから、太平洋戦争直前の1939年頃のものです。陶器製の小さなおひな様たちです。

娘も嫁ぎ、飾る人もいなくなったので、思いついた時に、私が引っ張り出して、飾っています。

紙びなを川に流して 凶事を払う「ひな送り」の行事が、各地に残っています。ひな祭りの本義は、この辺りにあるのだと思います。

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植物について

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  • 2007/03/17(土) 13:03:09 |
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