幼児教育を語るひろば

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フレーベルの教育 2

フレーベルは1782~1852年の人ですから、日本の江戸時代後期に当たります。彼の思想は、キリスト教文化をバックボーンとしていますので、日本人には理解しに
くい面もあります。

例えば、幼児教育については、「創造的な行為によって、神の本質を認識することである。」と言います。創造的行為によって創造されたものが、文化だとも言います。
特に、幼児期における創造的行為をどう捉えるか? 難しい問題です。

でもフレーベルは、具体的に創造力を培う多様な遊具を考案して、保育に活かしました。現在でも、世界中の幼稚園で使用されている遊具は、殆んどが、それを改良・
発展させた物です。如何に幼児教育に、深く根づいているかが分かります。

フレーベルは、1844年、<母の歌と愛の歌>という、母性教育の書を出版しました。内容は、単に自然愛的な母性愛による保育では、ダメだというものです。

母親が反省と自覚とを通して、母と子の間の自然の生活において、その自然の生活の底を流れ、その自然の生活を成り立たせるものを、感得するように導くようにと、訴えています。

ヨーロッパで学校が出現した理由は、貴族社会が、彼らの文化を維持伝承するためでした。フレーベルの頃も、その名残りがあったようです。裕福な家庭では、子どもが小さい時から「子ども部屋」を設けて、家庭教師などを雇い、子どもの教育に当たっていたようです。

「人間教育」の中で、子ども部屋について、「子どもを束縛するだけだ。(特に精神的に) このような家庭では、何ごとも生気が無く、何ごとも冷ややかで、そこには母親の存在が無い。」と言っています。

そんな場所は早く取り払って、再び美しい家庭を取り戻そうと、彼は言います。さらに、「母と子が別々の部屋ではいけない、母と子は同体でなくてはいけない、母親がわが子の教育を他人に任せるのはいけない、」とも言っています。

特に、幼児初期においては、母と子が共に生活するのが、幼児教育の原点だと、フレーベルは言います。そして、子どもは母と共に生の歓喜と、生命の衝動に動かされて、自分を表現するのだと言います。

学校について、フレーベルは色々述べていますが、いくつか拾い書きしてみます。

教授(教育)の仕事は、認知・判断・注意・観察・知識などをもって行なわれる。
このような作用が行なわれる場が、広い意味での学校である。

学校と言っても、その場所は屋内でも屋外でも構わないし、また、必ずしも特別な
教師が教えるとも限らない。父や又その家族が教えるのでも構わない。


学校と言うのは、一定の教室をもってすることや、いわゆる学校経営のことを意味するのではない。一定の目的を意識し、内的関係を意識しつつ、意識的に行なわれる知識の伝達を言うのである。

学校とは、生徒に事物の本質と内的生命とを教え、各事物が相互に関係する内部的事情・万物の間にある内面的関係・事物と人・事物と生徒自身・事物と生命・神との内的関係などに留意して、これを理解させるところである。

生徒が学校へ入ってからは、事物の外面的観察を抜け出て、より高い精神的観察へと進むのである。(中略)より高等な宇宙的秩序へ進むことは、子どもを生徒に育て、学校をより学校らしくする。

(フレーベルの言う内面は、心・精神、外面は、事物・自然界を指すことが多い。
 また、聖書の言葉をよく引用する。)

教授(教育)及び学校は、子どもを欲望から意志へ導き、不貞な意志活動から確固たる意志(意力)へと導き、着々と進歩させつつ、人としての使命を果たさせ、その天職を全うさせ、日常生活の完成の域にまで到達させるのが役目である。

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