幼児教育を語るひろば

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(旅雑記) 松下村塾

山口県萩市を訪ねました 「明治維新の町」というイメージを持っていましたが 観光案内所でもらったチラシには 「時色の町」というタイトルがついていました

昼食をとった店で 「時色の町」の由来を聞いてみました 「多分 維新という時を動かした町だからでしょう」 という答えが返ってきました 「なるほど あの激動の革命を支えた町の自負だなあ」 と私は納得しました

早速 松下村塾へ行きました すでに沢山の乗用車や観光バスが停車していて 観光客で一杯でした 「松下村塾」といえば「吉田松蔭」と結びつきますから 松蔭が創設したように思われ勝ちです 実際は 松蔭の叔父に当たる玉木文之進の私塾を 彼が受け継いだものだそうです (松下村塾は幕末から明治中期まで続いた)

現存する松下村塾は 松蔭が萩で幽閉されている間に 門人たちと協力して 1857年からその翌年にかけて 実家の杉邸内に移築したものです 18畳半の小さな家ですが ここから 明治維新を支えた多くの逸材が輩出されました 松蔭は ここで僅か2年間指導に当たっただけです 松蔭25歳の時でした

松蔭はペリー来航の折りに 海外密航を企てて捕えられ 幽閉中の身でしたから それほど自由な活動は許されなかっただろうと推察できます それなのに 日本の歴史を変えた多くの人々を輩出したのは 何故だろう? 

列記されている門人たちも 錚錚たる顔ぶれです
吉田稔麿・高杉晋作・久坂玄瑞・品川弥二郎・山県有朋・伊藤博文・入江杉蔵
・前原一誠・野村靖・山田顕義
 等々 木戸孝允も準門人のようでした 

私は 松下村塾の教育に興味を持ちました 学んだことは 次の3点です

1.松蔭は その時代の問題点を的確に捉えて考察しました 漢学にこだわらず
 洋学にも関心を持ちました (進取の気象に富んでいた)
2.個を認め それを伸ばすために 個に応じた指導に力を注ぎました
3.門人たちと 生活を共にしました (同じ釜の飯を食らう心に通じる)


現代教育の先駆けとも言えます (現代教育への警鐘と考えた方がよいか?)

関が原の役で敗れた毛利輝元は 中国地方112万石の大大名から 周防・長門2カ国36万石の小大名に減封されました 倒幕の気運は この時から萩の人たちに根づいたと言われます

萩は茶事が盛んな町です 代々の藩主もそれを奨励しました 藩主の別邸「花江御殿」では 度々茶会が催されました 13代毛利敬親は 御殿を増築して「花江茶亭」としました そして しばしば茶会を催しました 茶事にかこつけて 倒幕の密議を図った記録も残っているそうです

そんな資料を読みながら 私は萩城跡の周辺を散策しました 近くには「萩焼」の窯元がいくつかありました その一つに入って 萩焼の話を聞きながら 手びねりと絵付けの体験をさせてもらいました 萩焼を「びわ色の焼き物」と言うそうです そして 萩焼は使い込むほど七化けして あの上品な雰囲気をかもし出すのです
心休まるひと時でした 


 

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