幼児教育を語るひろば

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家族

「血は水よりも濃い」と言います 家族の絆は 他人よりも強いはずです でも最近はどうでしょうか? 「血で血を洗う」ような血なまぐさい事件が 多く聞かれます

放火して家族を焼死させた少年たちは (千葉県で父親を焼死させた19歳の女性も含めて) 「死んでもよいと思った」 「過去を消したかった」 「すべてを忘れたかった」 などと言っているようです

「死」について どう考えているのでしょうか? 過去を消すこと すべてを忘れることと 同一視しているのでしょうか? 消しきれなかった時 忘れきれなかった時 「死」は再び甦ってくるとでも 思っているのかも知れません

それにしても なぜ家族の絆は 弱くなったのでしょう? 家族関係を長期的に見ると 山あり谷あり 決して平坦な道ばかりではありません 特に子育ての時期は 一番絆が弱くなる条件をはらんでいます しかも 人間の子育て期間は 他の動物と比べれば とても長い時間を必要とします その間に 夫婦が仲違いしたり 経済的に苦しかったりすると 十分な子育ては出来ません

人間の進化の歴史を調べてみると 一夫一妻のシステムが出来て 家族単位で子育てをするようになったのは それなりに 種族維持の知恵があったようです 父親は
家族のために職を確保し 経済的安定を図ると共に 夫婦関係の安定も図って 長い子育て期間を乗り切るとしたわけです

家族の絆を支えるのは もちろん夫婦です でも 夫婦は元々他人です 二人の相性がよいなら別ですが 多くの夫婦は どこかに 満ち足りないものを抱えながら生活しています ですから 絆は常に切れる危険性を孕んでいるのです

絆を強める努力をしているうちはまだしも 諦めや我慢はいけません そうなると
家族関係のどこかにひずみを生じます 家族関係に生じたひずみは 諦めや我慢
では 何も解決出来ないからです

家族のひずみを治すための話し合いは 大事です でも家族の話し合いには 大きな欠陥があります 特に子どもに関わる問題では 家族が平等の立場で 話し合うことが難しいのです 親の一方的なお説教や 押し付けがまかり通って 冷静な話し合いにはならないのが普通です 

親はいつの間にか 子どもを自分の所有物と思って 行動することが多いのです
かって教え子が こんな告白をしていました

「私の父は 子どもたちのことをとても心配して あれこれと指示しました 外出しようとすると 目的や所用時間・経路・乗り物まで こと細かに聞き質します 誕生祝いなど 忘れずにしてくれますが プレゼントは子どもたちの欲しいものとは違う 父親が役立つと思ったものを買ってくれます お年玉なども自由に使えず 父親に管理されて 大きくなってから 学費にするようにと言われました そんなわけで プレゼントやお年玉に 興味を持たない子ども時代を過ごしました」

「家族愛」という言葉があります 前述の教え子の父親も 日本的な家族愛の表れかもしれません 家族愛それ自体は素晴らしいことです ただ 自分の家族だけを 自分の尺度で愛して 他の家族はどうでもよい というのでは困ります 

狩猟民族は 協力して狩りをした名残りから 助け合いの精神が培われたと言います 農耕民族は 自給自足で 自分の家族だけを守ったせいか 助け合いの心が薄いと言われます それが 日本の家族愛の中に 利己主義や 社会性の不足をもたらしたようです

「家族」とは何か?を あらためて問われると 定義づけは難しいと思います 
1人の人間だって 多様な考え方・生き方を持っています それが 家族の場合
3人・4人・・・と増えていくのですから とてもまとめ切れません また無理にまとめる必要もありません 大切なのは それぞれの考え方・生き方を 家族の中でも認め 尊重し合う雰囲気を作り出すことです

「和を以て尊しと為す」 家族の中でも 自分が所属する地域社会においても
心がけたい言葉です  

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