幼児教育を語るひろば

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山梨県を巡る

武田信玄公

元校長仲間4人で 山梨県を旅してきました
どこを訪ねても 名勝武田信玄公は 甲斐の人々の誇りです 歴史的にも ずーっと 人々の精神的な支えになってきました

武田神社は 武田3代が住んだ つつじが崎の舘跡です 戦国大名の館としては  最大規模を誇るものです 観光客がひっきりなしに訪れて賑わっています 菱和殿の天井画は 県内で見られる動植物が描かれ 幽玄な世界をかもし出していました

甲府駅東側に 通称舞鶴城(甲府城)があります ところが豊臣・徳川時代のものですから いまひとつ人気がありません 地元の人たちも 公園感覚で利用している程度のようです 私たちが訪ねた時も 人影はまばらでした


甲斐善光寺
は 武田信玄によって創建された 東日本では最大級の 木造建築物だそうです 元々は 信濃善光寺にあった本尊の阿弥陀如来を 川中島の戦いの戦火から守るために 甲府へ移したとのことでした

信玄公のお墓は 日本各地にあります (山梨・長野・京都・和歌山・愛知の各県) 武田神社に近い 岩窪町にもありました 甲州市塩山の恵林寺にあるお墓は立派で 正室のお墓と並び 周囲を武田家ゆかりの武将の石碑が 取り囲んでいました

恵林寺では 信玄公が帰依した快川和尚と100余人の僧侶が 織田信長に焼き殺されました 有名な 「滅却心頭火自涼」 (しんとうめっきゃくすれば ひもおのずから
すずし)という 快川和尚の言葉が残されています

山梨県には 信玄公ゆかりの史跡が 各地にあります 人々は 「風林火山」の句が大好きなようです 「はやきことの如く しずかなることの如く 侵略することの如く 動かざることの如し」 中国古代の 孫子の兵法によるものです

信玄公が好かれるのは 兵法に秀出ているからだけではないようです 治山・治水事業など 国づくりにも力を入れていたからです 
南アルプスの秘湯に泊りましたが ここも 信玄公の隠し湯と教わりました

山梨の教育

せっかく 元校長を自負している連中の旅ですから 山梨県の教育についても 調べてみようということになりました

甲府市には ミレーの絵がある県立美術館をはじめ 多くの教育・文化施設があります 県立文学館・県立科学間・クリスタルミュージアム等を巡りました どの施設も 
なかなか充実しているので 感心しました そんな施設を探訪しているうちに 山梨の教育の歴史が見えてきました

明治6年 甲府に赴任した青年県令 藤村紫朗が 教育による立県を説き 山梨県の文明開化を推進しました 彼は 小学校を設立し 児童の就学を奨励しました 財政的には貧しかったので 住民に 自力による学校建設を求め 寄付(献金)は半ば強制的だったようです でも そのお陰で 県下には 次々と洋風の校舎が新築され 人々を驚かし 今でも当時の面影を残す校舎が 数多く残っているとのことです

そのため 明治10年代までは 全国平均を大幅に上回る 就学率と進学率だったとのことです 然し せっかくの教育熱心も 明治20年代末には衰退して 全国平均を下回るようになりました

明治9年の 山梨県の小学校と 江戸時代の寺子屋の分布を示す資料があったので 写してきました

*小学校数 282校 (民家・1 公有・48 寺院・230)
*寺子屋数 483 (延べ総数)


南アルプスの山々は 梅がまだ花を残していて ソメイヨシノが満開でした そして 山ザクラが 山肌に白くうっすらと映って 遅い春の訪れを告げていました
   
 

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