幼児教育を語るひろば

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下天は夢か

26日、歴史小説「 下天は夢か 」の作者津本陽氏が亡くなりました。

「 下天が夢か 」が出版されて、すでに30年近くの時が経ちます。出版と同時に購入して、全四巻を一気に読み通したのを覚えています。

私の愛読書の一つで、暇があると引っ張り出して読みました。特に信長と秀吉との関係に興味がありました。信長の語る言葉を名古屋弁で表現しているのも好きです。


  人間五十年下天のうちをくらぶれば
  夢幻の如くなり
  ひとたび生を享け滅せぬ者あるべきか


信長は出陣前の酒肴の席で、謡いにあわせて敦盛の舞を舞うのが慣いでした。桶狭間の戦いに赴く時もそうでした。

桶狭間に出陣する時の戦評定の折に、戦いを渋る部下の前でこう言い放ったと書かれています。

「 いにしえより英雄といわるる者の興亡は、たんだひとつ、機を得るやいなやにかかっておったのだぎゃ。城をたのんで戦機を失い、生死の関頭に及び生命を全うせんとするごとき者は、全て自滅せざるはなし。 (以下略) 」


藤吉郎(秀吉)がお小人頭(足軽組頭配下の小頭)として信長の身辺に仕えるうち、しだいに才を認められ、重い役をあてがわれるようになった頃のエピソードです。

「猿、そのほう昨日吉野が元にて、城のつくろいがなおざりなどと、賢ぶったることを吐かしたとな。その申し條とやらを儂にいうてみよ」
藤吉郎ははっと胸をつかれたふうをよそおう。
「なにをぐずついておる。早ういわぬか。」
藤吉郎は畳に額をすりつけ、詫びた。
「手前が思慮のない頬桁をたたいたばっかりに、いかい不調法をいたしてござりまする。申しあぐれば、上役歴々の衆をそしることになり、申しあげねばお指図にそむくことになりまするに。進退きわまってござりまする」
(中略)
彼は門閥、地位にとらわれず、人材の能力を発揮させるうえで、稀にみる宏大な度量の持ち主である信長に、わが才能を認めさせる好機を得たよろこびで、胸を高まらせていた。
藤吉郎はお小人となった新参の頃から、常時油断なく信長の意をむかえるために精勤してきた。
主君の手足として、一瞬の弛緩もなく仕え、諸事にのぞみ先まわりして準備をととのえている藤吉郎の才智のひらめきに、信長はおどろかされ、信頼の度をふかめてきた。


かくして藤吉郎(秀吉)は、城普請の奉行を命じられました。


津本陽氏は、私に信長時代の歴史に興味を抱かせてくれた恩人です。



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