幼児教育を語るひろば

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心配なこと(民主主義を守ること)

久しぶりに書棚から矢内原忠雄氏(元東大総長 1951〜1957年在職)の「教育と人間」(東大出版会発行 1973年初版)を引っ張り出して読みました。

はしがきに書かれていた次の一節にふと思い当たることがあり、本文を読み終えてから再度目を通してみました。

(前略)
 終戦後私の心を一貫して流れている願いは、日本の民主化と平和の理想の堅持である。日本の民主化は制度上は一応行きわたったように思われ、国民の気風の上にも民主的ムードができてきたように見えるが、民主主義の精神が国民の血となり肉となり、生活の中に民主主義が根をおろすまでにはまだなかなかである。かけ声の高いほどには、民主的な人間ができあがっていず、民主的な制度が民主的に運営されず、かえって何かにつけてあともどりの徴候さえ見られることがある。民主化の根が浅いため、時の勢いに押されていつどうなるかわからないという心配が、私の心に消えない。民主的な人間形成が日本国民の中に行きわたるまでは、日本民主化の叫びが私の口からあがらずにはいられないであろう。
(中略)
 戦後十数年を経て、社会情勢もやや安定し、国民の経済生活もいくらか落ちついたようである。しかし保守政権が長く続いたため、この安定も落ちつきも保守的色彩が強い。保守的色彩は、ある点では戦前の思想や制度への復帰をさえ示唆し、多くの点で現状維持、現状是認の思想を育てる。別の言葉で言えば、革新的思想は日陰者扱いをされてくる。このことは近頃のジャーナリズムにおける論説や、論壇批評の担当者の顔ぶれと内容の変化にも現れている。修正主義的な、中間的な意見が、終戦直後の理想主義的な、革新的意見に代わって論壇の正座を占めつつあるように見える。
(後略)


この文は、1961年(昭和36年)に書かれたものです。いまの政治の動きを見ると、そのまま当てはまる言葉のように思います。


思い当たることというのは、「共謀罪」法の成立と、加計学園に関わる文科省内の文書問題のことです。

成立した共謀罪法では、犯罪計画の前段階で罪に問うことができます。犯罪が実行された段階で処罰の対象になる従来の刑事法と比べると、原則の大転換です。

政府は共謀罪法を「テロ等準備罪」と呼んで、オリンピックのテロ対策のための法案のように説明しています。一般国民には無関係のような口ぶりです。

でも我が国には、かって共謀罪に似た「治安維持法」なるものがあって、反政府・反国策的思想や言論の自由を抑圧した時代があります。監視社会・密告社会が実現し、人々の思想・良心の自由は制限され、民主主義は否定されました。

だからこそ国民は、今回の共謀罪法を危惧し、法案の内容にも多くの疑問を抱いていました。その疑問を山積みにしたまま、法案は強行採決されました。

共謀罪法は強行可決されてしまいました。それでも私たちは、これからも法案の修正・廃止に声をあげて行かなければならないと思います。


加計学園に関する文書問題も、文科大臣や官房長官は「無い!」と言っていたものが存在しました。こうなれば文科省や内閣府の当事者だけではなく、第三者による徹底的な調査を求める必要があります。

内閣府もこの問題を調査することになり、16日に結果を公表しましたが、「文科省に対し『総理のご意向』とか『官邸の最高レベルが言っている』などと発言したことは無い。」と、文科省の言い分と食い違っています。

いずれにしても、要は文書の有無で終わりではありません。前文科省事務次官が証言した「行政が歪められる不正」が、あったかどうかを明らかにすることなのです。


民主主義の政治では、多数決が原則です。だからと言って、強行採決を許している訳ではありません。少数党も多数党と同等の政治的比重を持っているのです。

また与党の政策は正しく、野党の政策は正しく無いということでもありません。議員の数は、正義を意味しません。少数野党の声にも多数与党はきちんと耳を貸し、十分の時間をかけて審議するのが民主主義の政治体制です。

多数に守られた与党政権が、民主主義をないがしろにしているのでは?  という心配をしています。



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