幼児教育を語るひろば

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俳句のグローバル化

きょうの「天声人語」に、「恋の季節がやってきた」という ネコの話が載っています。その中に、正岡子規の俳句がありました。そこできょうは俳句の話です。

 おそろしや  石垣崩す  猫の恋       子規


最近俳句のグローバル化が進んでいると聞きました。欧米 特にフランスで盛んだそうです。古くは、江戸時代中期の朝鮮通信使の通訳が書いた俳句や、19世紀初めのオランダ商館長ヘンドリック・ドゥーフの作った俳句が残っているそうです。

日本でも「国際俳句交流協会」や「世界俳句協会」が設立されて、俳句のグローバル化に貢献していると聞きました。

外国語で五七五と語句を揃えるのは無理でしょうし、季語を取り入れるとなるとなお大変です。結局短詩という感じで、わび・さびの日本的情緒を表現することになるのだと思います。


ところで「俳句」とは何でしょう?

昔は「発句(ほっく)」と言われました。明治の中頃 俳諧革新運動が起こり、正岡子規は俳諧・連歌の発句を独立させて「俳句」と呼称しました。

(注)
 俳諧 → 連句 (長句)・発句 (俳句)の総称。 室町末期以後、連歌の中で
      俗語を使ってしゃれや機知に富んだものを指す。貞門・談林を経て、
      芭蕉が高度な文芸に高めた。江戸時代には、「俳諧師」と言われる
      俳諧を職業とする人が多数輩出。

 連歌 → 二人以上の人が、 短歌の上の句 ・ 下の句を交互に詠み合うもの。
      上の句に別人が下の句をつけて一首を完成させる短連歌と、数人の
      同席者が長句(五七五)と短句(七七)を交互に続けていく長連歌
      とに分けられる。前者は平安中期以後の歌人の遊び。後者は鎌倉か
      ら室町時代に流行。

ちなみに連句最後の句は、歌の終わりの意から転じて「挙句(あげく)」と言われます。「挙句の果て」と言えば、「挙句」も「果て」も終わりを表す言葉を重ねて強調しているので、「最後」・「とどのつまり」を意味します。


 朝顔に  つるべとられて  もらい水     加賀千代女

この句を取り上げたわけは、夏目漱石の「ぼっちゃん」に こんな一節があるからです。

 赤シャツは色々辨じた。仕舞に話をかへて 君俳句をやりますかと来たから、こいつは大變だと思って、俳句はやりません、左様ならと、そこそこに歸って来た。發句は芭蕉か髪結床の親方のやるもんだ。數學の先生が 朝顔やに釣瓶をとられて堪るものか。

漱石自身は、明治22年(1889年)22歳の時 正岡子規と交友を結び、病床の子規への手紙に俳句を記して送っているそうです。夏目漱石の「漱石」は、子規のペンネームの一つを譲り受けたと言われます。

その後俳句に熱を入れ、五高講師時代には生徒だった寺田寅彦たちに俳句を教え、「紫溟吟社」という俳句結社を設立しました。

       漱石の句
  肩に来て  人なつかしや  赤とんぼ

  月に逝く  漱石妻を  忘れたり

  ゆく春や  振分髪も  肩を過ぎぬ

  春雨や  寝ながら  横に梅を見る




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