幼児教育を語るひろば

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教師の本音 (2)

私が出た大学は、前身が旧制の師範学校です。明治19年の「師範学校令」には、師範学校教育の目標として次の3点が掲げられています。

① 順良 ( obedience )
② 信愛 ( friend ship )
③ 威重 ( dignity )

当時の文部大臣 森 有禮 は、 師範学校の生徒たちに  「 将来教師たらん者は、健全な市民の資質だけでなく、教師としての特別な資質、徳性を備えること ! 」と、要求しました。

そんな伝統を受け継ぐ学校で学びましたから、教師として必要な知識(指導法や指導技術)と共に、徳性の向上を目指すように自ずとしつけられました。

でも私が就職した頃は、まだ終戦後の教育民主化の嵐が吹き荒れていました。
「 教師も労働者である 」という主張が、声高に叫ばれていました。新米教師の私も、それに便乗していました。

それに実際に勤めてみると、経済的待遇は低く、社会的地位も必ずしも高いとは言えません。 他企業に就職した友人には 「 先生と言われるほどのバカで無し。 」  と、 揶揄されました。 「 デモ・シカ先生 」 という言葉も、流行っていた時代
です。

それらの言葉の陰には、教育に対する期待も込められていたのだとは思いますが・・・   私自身も重大な職責と教えられた割には、教師に対する待遇が伴って
いないと実感しました。

「 教育の近代化・民主化に貢献しよう ! 」と、理想を抱いて教職に就いたはずなのに、現実は「 サラリーマン教師 」と軽視され、一方では「 聖職観 」を押し付けられて、 出鼻をくじかれる思いでした。 私自身も 「 聖職意識を装って
いるだけでは ? 」  と、自己嫌悪に陥る始末です。

聖職意識は、寺子屋教育の名残りと言われます。寺子屋のお師匠さんは、「 師は道を伝える者、必ずしも報酬を望まず。 」という考えを持っていたからです。

1966年に、I L O ー ユネスコの「教員の地位に関する勧告」が出て、ホッとしたのを覚えています。教師のあり方の原点だと思いました。

[ 学校は子供たちのために存在し、教育は人間として社会に役立つことを目的とするものであって、教員に雇用を提供するためのものではない。重要なことは、教える機能である。]


教師自体が権威ではありません。教師も平凡な一人の人間です。教師は自らの職責の重大さを深く認識して、常に厳しい自己反省を怠らず、真理の探求に真剣に取り組む姿勢を持ち続けること、これこそ教師の本音です・・・ と、言いたいのですが、 やはり立前でしょうか?

ちなみに私の教師としての本音ですが・・・ 労働時間はあまり気になりません。自分の身体や精神状態に合わせて、勤務時間を調整すれば良いからです。教職はそれが可能です。それよりも、どう職責の重大さを認識して勤められるかが課題でした。

天職と目指して教職を志しましたが、子供と行動を共にするのが億劫になったり、子供の声が鬱陶しく聞こえたり、さらには自身の容姿も衰えて 指導する気力も無くなったら、 教師を辞そうという思いが本音でした。

最近の先生方の本音を、お聞きしたいものです。         ー終ー



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