幼児教育を語るひろば

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歳末 昔の子供たちは

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シクラメン ( 2016, 12. 23 写す)


冬至が過ぎると、歳末の行事に追われるようになります。外出しても、町中どことなく慌ただしく感じます。

もう70年以上も前になりますが、私の子供時代を思い出しています。商店街に行くと、正月の飾り物(門松・しめ縄・正月の縁起物など)を売る店が出るようになります。

正月の飾り物を買いに行くのは、私の役目でした。父が銀行員だったので歳末は忙しく、長男の私が父親代わりでした。

買い出しの前に、家中の大掃除(すす払い)をしなければなりません。今でも覚えているのは、2歳違いの弟と障子の桟洗いで苦労したことです(古い障子紙をはがして障子の骨をきれいにする)。

屋外で寒風が吹く中、バケツに汲んだ冷たい水で障子の桟をきれいに洗います。古い障子紙をはがすのは、いたずら感覚でやるので面白かったのですが、水洗いは手が冷たくなりとても辛い仕事でした。

神棚と仏壇の掃除も、私たち子供の分担でした。何しろ氏神様やご先祖様が祀ってあるのですから、粗末に扱ったり、いい加減に済ませたりするわけには行きません。神棚も仏壇も1年経つと結構埃が溜まっていて、掃除は1日仕事でした。

昔は年越しの行事が大事にされましたから、子供たちにも色々な役割がありました。出入りのお米屋さんに鏡餅と伸し餅を頼むのも、私の役目でした。

お米やさんから届いた鏡餅は、神棚と仏壇にお供えします。橙とゆずり葉を添えて、床の間にも飾りました。

伸し餅は切り餅にします。2〜3日置いておくと、少し硬くなって切り易くなります。その見極めも任されました。

近所のそば屋さんへ、年越しそばを注文するのも私の責任でした。年越しそばを食べなければ新しい年を迎えられませんから、忘れたら大変です。

昔の子供たちは、家族と共に年越しの行事に色々と関わっていました。このことが、きっと家族の絆を強めるのに役立っていたのだと思います。

大晦日の夜には、「年の湯」に入ります。当時わが家に薪で焚く小さな風呂桶は
あったのですが、交代で近所の銭湯へ出かけるのが慣例でした。

年越しそばを食べて除夜の鐘が鳴り始める頃に、 氏神様へ初詣に行きました。
氏神様では、 お札を受けたり 「年の火」 を戴いたりするのが私の役目でした。
「年の火」とは、神社の篝火から分けてもらう火種のことですが、もうそんな風習は残っていません。

初詣から戻ると、家族で新年の挨拶を交わしてお雑煮を食べました。そして母からお年玉を貰うのが、何よりの楽しみでした。お年玉しか、お小遣いを貰う機会はありません。

こんな歳末風景も、昭和19年(1944年)の初め頃まででした。太平洋戦争も敗戦の色が濃くなり、やがて終戦・戦後となって、日本中で物資が不足し食糧難に喘ぐようになりました。


さて現代の子供たちは、どのようにして歳末を過ごしているのでしょうか?



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