幼児教育を語るひろば

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子どもにおける法則の観念の発達過程 (2)

「ピアジェ・子どもの因果関係の認識」から。

5歳から8歳の子どもは、太陽は自分の好きなところへ好きなときにゆけるかとたずねられると、つねに肯定的な答えをする。太陽がそうしないのは「もうちょっと長く照らなければならない」からであり、「昼間は照っていなければならないから」である。
月がどこかへいってしまわないのは「命令しているのは月ではないから」であり、雲がどこへもゆけないのは「ぼくたちに道を示しているから」である。 など。


こう考えるのは、「自然法則があるとしても、それは物体が物理的に決定されているからではない。物体は、もし望むなら、法則を免れることができるのである。自然法則が効力をもつのは、物体が従順であるからに過ぎない。」 と、ピアジェは言います。

雲と天体の運動に関する子どもの説明には、人工論とアニミズムの結びつきがあります。雲や天体の動きを、ある程度の自発的運動と捉えています。でも、固有運動と他律運動の区別は出来ません。

子どもは、雲も天体も生きていると思っています。神様や精神的な強制に従っていると同時に、それ自体の自発性にももとづいていると見なしています。

ピアジェはこう言っています。

第1期では、法則の必然性は全面的に精神的であり、物理的必然性は、この精神的必然性のいわば影のごときものです。すなわち、自然という主人の力と権威に由来しているに過ぎません。

第2期では(7〜8歳から11〜12歳の間)、次のような2つの過程が観察されます。1つは、精神的必然性と物理的決定論が分化します。もう1つは、法則が一般的となります。

例えば水や雲の運動は、かなり早くから全面的に機械論的な原因に還元されます。「水は傾斜を下ることしか出来ないし、雲は風があると進まざるを得ない。」 などがそうです。

11〜12歳までは、依然 数多くの自然法則が精神的なものと見なされています。例えば太陽や月の運動は、純粋な精神的法則に従っていると信じられて
います。

その他、出来事の一部分だけが決定論に従うとされ、自然法則全体のもっとも
一般的な側面は精神的なものにとどまっています。

例えば子どもは、雨の発生と雲の運動が全面的に物理的な過程に由来することは知っているのですが、相変わらず、雲が湧くのは雨を降らせるためであり、雨が降るのは、「お庭のためだ」と主張し、目的論はなかなか消滅しません。  
(つづく)



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