幼児教育を語るひろば

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再び 教師論

最近また教師の暴力・暴言・体罰・セクハラ・パワハラ・・・ などが、問題になって
います。

横浜市教育委員会は、同市立中学校の男性教諭(49歳)が、部活(バレー部)で
女子生徒に体罰・セクハラを繰り返していたというので、20日に懲戒免職処分にしました。

処分された教諭は、前任校でも同様の事件を起こしていたと言われます。それなのに今回防止出来なかったのは、当時の校長や教育委員会が、彼にどんな指導をしていたのかが問われます。


教師論については、 このブログでも度々触れてきました。 教育とは、 文字通り「教え」・「育てる」ことです。それには教える者と教わる者の間に、心の交流を伴った教育的人間関係が成立しなくてはなりません。

教育的人間関係の教育主体を ”教育者” と呼びます。では ”教育者” とは学校の教師のことかと言うと、学校教師の中にも ”教育者” たり得ない者が多いというのが実状のようです。

教師の資質として大事なものは、いくつかあります。第1に、教育に強い情熱を持った ”教育者” でなければなりません。第2に、学校教育の内容に精通した ”専門職” であるべきです。 第3は、 子どもたちのために ”学校を職場として
働く” という自己の立場を自覚していることです。

いずれにしても、教師は子どもたちの成長・発達に対する強い関心と、深い愛情に基づいてその職に当たらなければ、教師失格です。

明治以降(寺子屋時代も)昭和22年(1947年)に発足した新しい学制までの教師像は、 ”聖職者” でした。「師は道を教える者」という信条が受け継がれ、
教師は ”天職” とされました。

その実は下級俸給者として軽蔑され、 「先生と言われるほどのバカで無し」 と
陰口を叩かれていました。

私が教師になった頃は終戦直後の民主化の名残りもあったので、 「教師は労働者である」 という風潮がまだありました。教師のサラリーマン化と言う言葉に、違和感を感じたこともありました。

でもそのお陰で、教師のあり方の原点を探るきっかけにもなり、教育とは本来何であるのか?  教師とは何か?  と、改めて考えるようになったのも事実です。

話が逸れましたが、今日教師に対する最も根本的な要請は、教育者としての情熱と子どもたちへの誠実な態度を失わないことです。

教育とは、 ”心の交流だ” と言いました。教師の人格的影響が、教育の最も根源的で重要な領域と考えられるからです。

教師は、彼自身が権威であるのではありません。教師も一人の人間に過ぎません。教師の職責を果たすには、自らの任務の重大さを深く認識し、常に厳しい
自己反省を怠らず、求道精神を持ち続けなければならないのです。



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