幼児教育を語るひろば

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教育が目指す人間像

現憲法の前文では、恒久平和を誓い平和を愛する民主的な国民を求めています。23条では、学問の自由を説いています。

更に平和的な国家及び社会の形成者の育成を図るために、教育基本法では人格の完成を教育目的に掲げています。

ところが、現在憲法改正論議が盛んです。その中でも、右寄りの改正派の声が気になります。気になることを3点あげてみます。

1点目は、かっての国家主義的な思想の育成を思わせるような主張です。学問の自由よりも、国民の思想統一のための画一的な教育が必要という声です。特に、愛国心の向上や歴史観の是正を求めています。

2点目は、教育を政治の手段として利用しようとする動きです。教育政策として、国民に特定の思想を植え付けようとする試みです。

3点目は、青少年犯罪の多発を道徳教育が不十分なためとこじつけて、道徳教育の強化を訴えています。特に徳目指導の充実を要求しています。

政治と教育は、車の両輪のようなものです。国の政策が、教育を利用する場合もあります。教育が政治に優先して、政治を助ける場合もあります。

いずれにしても大切なのは、教育はそれ自体の立場において教育の目指す人間像があるということです。では教育の目指す人間像とは、具体的にどんなことを指すのでしょうか。

結論を先に言うと、人間像は個人個人によって違うということです。何故なら個々の人間の特性(性格・素質・能力など)は、千差万別で一人として同じでは無いからです。つまり個性は多様であって、画一化出来ないということです。

それでも一般論としての人間像はあります。誠実な人・正直な人・勤勉な人・正義感の強い人・勇気のある人・平和を愛する人・陰日なたの無い人・・・ などの徳目を備えた人がそうです。

確かにこれらの徳目を備えている人は、個人としても社会人としても尊敬出来ます。でも徳目を完全に具備していれば、理想の人間像に到達出来たと言えるのでしょうか?

特に愛情や心の問題、それに人間関係などは、徳目だけでは成り立ちません。そして世の中に目をやると、争いあり・盗みあり・殺人あり・騙し合いあり・・・  と、徳目が備わった人にもなかなか巡り会えないし、振り込め詐欺のように徳目が備わった振りをしている悪い奴もいます。

徳目だけでは、教育が目指す人間像は語れないようです。教育基本法では、立派な人格をつくりあげることが教育の目的だと言います。徳目の獲得だけを目指しても、存在することが不可能な人間像を、抽象的に描いて満足して終わる心配があるのです。

人間はある面では強く、ある面では弱いところがあります。だから、完全な人間像を求めること自体難しいことです。それでは教育の目指す人間像を、どう育てれば良いのでしょうか?

第1は、着飾らなくてもよい人間を育てることです。権力・財力・地位などに頼るのでは無く、境遇に関係無く、人間としての価値を自覚し、自信を持つ人です。

第2は、人間らしい人柄(人格)に育てることです。人柄は個人固有のものです。ただ前提に、身分の上下・富の大小・教育環境の差・身体状況の差などで、教育が差別されないことが条件です。

人柄は、教育の力でもなかなか変えることは出来ません。ただ教育によって自分の人柄を自覚し、より良い人柄をつくり上げる訓練をすることは出来ます。


学問の自由(言論・思想の自由も含めて)を束縛し、思想統一のための教育政策が実施されることが無いように、そんな観点から憲法改正論議を見守っています。



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