幼児教育を語るひろば

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中学生の自殺

8月31日付朝日新聞の「天声人語」は、青森県で二人の中学生が、いじめを苦にして自殺したことに触れて書いていました。18歳以下の子供の自殺は、夏休み明けに集中すると言います。

「天声人語」では、作家の石田衣良さんが、自殺願望の子供達へ呼びかけた言葉を紹介していました(2006年朝日新聞紙上から)。

「死んだふりをして、苦しい時間を生きのびてください。そして、いつか笑いながら光のなかを歩いてください。」 

つらい「いま」 は、いつまでも続かない。 同時に、「ここ」 にも縛られなくていい。図書館・フリースクール・・・  いまある関係から離れることのできる場所はある。学校なんて通わなくていい。 と、同欄は続けます。

確かにそうだ!  私もそう言いたい!  でも、いじめで苦しむ子には通じないようです。

彼らに言わせれば、きっと「いま」の次も「いま」なのです。「いま」の次にくる「いま」は、変わることが可能な「いま」なのですが、彼らにとっては永遠に続く「いま」なのです。

最近の大人は、「学校へ行かなくてもいい。」 と、もの分かりが良くなりました。それでも子供は、「学校へ行かなければ・・・」と、自分を責めます。

大人が(親が)、「行け!」・「行くな!」という問題ではなさそうです。子供自身の心が、「行く」・「行かない」をコントロールしているのです。

だから不登校を認めても、無理やり図書館やフリースクールへ連れて行っても、子供の心が変わるわけではありません。

不登校になった子供を否定せずに、ありのままを受け入れようと思っても、大人の心のどこかに「早く学校に行けるようにしなければ・・・」 という気持ちがあると、子供にもそれが分かって、かえって不安を煽ります。

それよりは不登校になった子供の逃げ場を、あるいは安心して過ごすことが出来る場(居場所)を造ってあげる方が大事です。

自殺する子供は、「生きているのが辛いから・・・」 と言います。でも、自殺した後をどう考えているのでしょうか?

親や知人に感謝の言葉を残す子もいます。身勝手を詫びる子もいます。 いじめから解放される喜びを語る子もいます。自殺の原因を訴える子もいます。

芥川龍之介の遺稿と言われる「或阿呆の一生」の序文に(久米正雄宛て)、こんなことが書かれています。

ー前略ー 僕は今最も不幸な幸福の中に暮らしている。しかし不思議にも後悔していない。ただ僕のごとき悪夫、悪子、悪親を持ったものたちをいかにも気の毒に感じている。ではさようなら。僕はこの原稿の中では少くとも意識的には自己弁護をしなかったつもりだ。 ー後略ー

キリスト教では自殺を禁じていると聞きましたが、 日本には自殺を美化する
風潮があるのではないでしょうか。

武士は敵に降伏するのをよしとせずに、潔く自決しました。乃木希典将軍夫妻は、明治天皇崩御の後を追って殉死しました。それが美談として、国民の間で
語り継がれました。

庶民の間では、近松門左衛門の浄瑠璃、特に心中ものが人気でした。 中でも
「曽根崎心中」は有名です。死が美しく描かれました。

こんな国民性が、死を安易なものと考える素地になっているのではないでしょうか?  今こそ、生命軽視の風潮を止めなければならない時です。



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