幼児教育を語るひろば

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教育再考・1  (障害者施設殺傷事件に思う)

相模原市の障害者施設で、痛ましい事件が起きました。19人もの尊い命が奪われましたが、容疑者は同施設元職員の男でした。

彼は、かねてから障害者に危害を加える言動を繰り返していました。「障害者は生きている意味がない」と、反社会的な不穏な発言をしたり、園周辺の家庭に同様の趣旨の文書を配布したりしたので、緊急措置入院させられるという経緯もありました。

容疑者の人間性は、どのようにして形成されたのでしょうか?

「人間は社会的動物である」と言われるように、私たちの生活は社会と切り離して考えることは出来ません。人間として成長するということは、社会性を身につけることに他なりません。彼の社会性はどうだったのでしょうか?


1799年9月に、真裸で木の実や木の根を食べて生活していた11〜12歳くらいの少年が、アベロン(南フランス)の山中で発見されました。

4〜5歳の頃親に捨てられて、その時から全く孤独な放浪生活を続けていたようです。それまでに獲得していたはずの知識・言語・生活習慣などは、孤独生活のために全て彼の記憶から消え去っていました。

少年は非社会的な習慣が身につき、手に負えないほど注意力が散漫で、身体機能も器官も極めて未発達な状態で適応性を欠いていました。

アベロンの野生児を再教育して、人間性をはぐくみ、社会の一員として復帰させる教育体制が、ジャン・イタール(1774〜1838年・フランスの医師・聾唖教育の先駆者)を中心に組織されました。

イタールは、野生児の教育にあたって、次のような条件をあげています。
(5項目あげているが、2項目のみ紹介)

*彼が今行っている生活よりももっと楽しく、さらに彼が過去へ捨ててきた生活に近い生活を与えることによって、社会生活に興味をもたせること。

*彼に新たな要求を与え、社会的な接触を増すことによって、彼の観念の範囲を広げること。


イタールが最も強調したことは、社会的な接触を増すことです。 社会性の欠如が、人間の完成に大きな障害になるということです。 アベロンの野生児から、今回の事件の容疑者の社会性を想起させられました。

人間は社会の中で他の人と交わることによって生活技術を身につけ、道徳や宗教の感情を心に植えつけるのです。 そのことは、社会が人間を形成するという意味にもなるのです。


教育は、ともすると個人の問題になりがちです。人間の存在には、個人的存在と社会的存在という二つの存在があることを、私たちは考えねばなりません。

デュルケム( Durkheim, 1858〜1917年 )は、「教育と社会学」で次のように述べています。

「教育とは、成熟した諸世代によって未だ社会生活に馴れない諸世代の上に行われる作用である。教育の目的は、全体としての政治社会が、また個人に対して予定されている特殊環境が、子供に対して要求する一定数の肉体的・知的及び道徳的諸状態を子供の中に現出させ、また発達させることにある。」 と。



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