幼児教育を語るひろば

幼児教育を語るひろば

幼年期 (2)

世阿弥 (1362」〜1443年頃・室町時代の能役者) が書いた 「風姿花伝」に、その父観阿弥(1333〜1384年・南北朝時代の能作者)の言葉が紹介されています。

「人のわろき所を見るだにも、わが手本なり。いはんや、よき所をや。『稽古は強かれ、情識はなかれ』 とは、これなるべし。」

「世の中に認められるというのは、稽古によって自分の芸を磨くことだ。そのためには、自分の競争相手が、自分より上手ならもちろん、下手でもそれに学ぶ心がけが大切だ。下手だって長所は必ずあるのだから。」と、観阿弥は言うのです。

そして「自分が克服しなければならない最初の敵は、情識だ。」と、戒めています。情識とは強情で、頑固で、うぬぼれで、人の言うことを聞かずに争ってばかりいることです。その上で「稽古はしっかりやりなさい!」と、言っています。

さらに観阿弥は、年齢に応じた稽古の仕方を教えています。彼は、幼年期を7歳前後と捉えていました。そこで次のように説いています。

「この年頃の稽古は、自然に行う中に風情がある。稽古では、自然に出てくる動きを尊重して、子供の心の赴くままにさせた方が良い。上手とか下手とか、厳しく怒ったりするとやる気をなくしてしまう。」

世阿弥もこの教えを受け継いで、親は子供の自発的な動きを認め伸ばすように指導するのが良いと言います。 親があまり子供を束縛すると、 親の真似だけで終わって親を超えて行く子供にはなれないと注意しています。

ところで少年前期(12〜13歳頃)は、放っておいても華やかな美しさがあるので、それに惑わされることなくしっかり稽古するようにと言っています。
(その時だけの「時分の花」であって、本当の花では無いと言う。)


[幼年期] から (家庭の教育2・岩波書店発行)

子どもらしい子どもの時代をもたない人間は、おとならしいおとなになり損ねる。子どもらしい心のはたらき方が、どんなに幼稚でとりとめないものに見えても、それはおとなに成長していくためにどうしても必要な段階だ。知能の発達についても、からだの成熟にうながされてあらわれてくるのを辛抱づよく待つことがまずなによりもたいせつだ。

おとなとの会話は、子どもにとっては大きな喜びで、感情がこまやかにゆたかに発達する基礎をつくることにもなる。これと反対に、質問しても満足な答えをもらえないことに気づくと、子どもは知識をひろげようとする意欲をしだいに弱めてしまう。たずねることをはずかしいことのように思いこませる無神経な発言を、それとは知らずにやることがあるものだ。「そんなこと知らないの」というような態度や発言は、はげますよりは、抑える結果になる。

子どもの心の発達は、ことばによる知識だけではのぞめない。外界に直接に触れる知覚やそれにはたらきかける運動を通して、人間は自然を知り、自分の中に世界をとりこんでいく。この経験が十分でないと、ことばが達者にはなっても、自然のゆたかさや不思議さに感動し、行動で自分を拡大していくことのできる人間は育たない。それどころか、ほんとうに有効にはたらく知恵の発達もじつはおぼつかない。小さいときに、それほどことばの発達がすぐれていない子どものなかに、時が来るとにわかにあらわれる未来の成長の可能性がたたえられていることがあるものだ。



コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://freesia7.blog10.fc2.com/tb.php/1663-0e8ae956