幼児教育を語るひろば

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雑草の如く


ドクダミ ( 2016, 5. 31 写す )
 花びらのように見えるのは、総苞片(そうほうへん)という、芽や蕾を保護する役目のものです。ドクダミは花びらや萼が無く、黄色の穂の部分が、沢山の雄しべと雌しべで出来た花の集まりです。ドクダミのネーミングは感心しませんが、でもよく見れば純白の可愛い花です。


気がついたら、庭中がドクダミの花で埋まっていました。  わが家の植物で一番生命力(勢力)の強いのが、ドクダミではないでしょうか?  栽培しているわけでは無いのに・・・  まさに雑草の王様だと思ます。

「雑草の如く逞しく!」 と言われます。特に体育会系で好まれる言葉です。
雑草は、 人や動物に踏まれてもそれに耐えて成長して行きます。  人も、苦難に耐えて生き抜く力が大事だ!  という教えです。

苦難に耐える力は、どこから生まれて来るのでしょうか?

前途に希望がある、夢があることが第一の条件だと思います。さらにそれを追い求める気持ちが、  強くなければなりません。  他にも勇気・努力・探求する心が必要です。

私の少年時代は、太平洋戦争が終わった直後ですから東京の街は空襲で荒地と化し、 都市機能も麻痺状態でした。  加えて衣食住の基本的な生活要件が、全く欠けていました。

中学生になったばかりでしたが、お下がりの継ぎ接ぎだらけの制服や肩掛けの布鞄で我慢して通学しました。時には、お弁当無しの日もありました。

もちろん家には勉強部屋もありませんし、冷暖房の設備も無い時代です。教材や学用品は粗悪なものばかりでしたが、それでも大事に扱って勉強しました。

生きて行くのが大変な時代だったのですが、 それなりに子供たちは、  「明日は良くなる」という希望を抱いて、毎日を明るく逞しく過ごしていました。今から考えれば、雑草のように育ってきたのだと思います。

麦踏みは、 麦の根張りを強くして丈夫な麦を育てるために行います。 「可愛い子には旅をさせよ」と同じす。昔の旅は、大変辛いものでした。子供たちにも辛いことを経験させ、世の中の厳しさに触れさせることが、将来の役に立ちました。

それに、「足るを知らざる者は、富めりと言えども貧し。」と言います。雑草のような人とは、自分の環境や持っているものに満足できる人のことです。他人の環境や富を羨ましがる人は、雑草のように逞しくはなれません。要は心の持ち方で、雑草も千金の価値を生むのです。

ドクダミから話が逸れましたが・・・



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