幼児教育を語るひろば

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なぜベストをつくさないのか


小型のパンジー (寒中も元気 2016, 1. 14 写す)


私の愛蔵書にアメリカ合衆国第39代大統領 ジミー・カーターの自伝があります。(英潮社発行・酒向克郎訳) 内容が良いというより、タイトルの「なぜベストをつくさないのか」が気に入っています。

この言葉が題名に選ばれたのは、彼が士官学校を卒業して原子力潜水艦計画に志願した時、面接官だったハイマン・リッコーバー海軍大将(当時大佐・カーター大統領が尊敬する人物)とのやりとりがきっかけです。

面接の折りに士官学校時代の成績を問われたカーターは、「820人中の59番目」と、ほめられることを期待して誇らしげに答えました。

ところがリッコーバーは、「君はベストをつくしたのかね」と、問い質してきました。カーターは「はい、つくしました。」と言いかけたものの、士官学校時代を振り返って、「いいえ、いつもベストをつくしたわけではありません。」と答えました。

リッコーバーは少し間をおいてから、「なぜベストをつくさなかったのかね?」と尋ねました。カーターは、答えることが出来ずに面接室を去りました。然しこのやりとりは、彼の心に深く残って、以後彼の座右の銘となりました。

ジミー・カーターは、ジョージア州の貧しい農家の子として生まれました。(当時ジョージア州の農家は、どこも貧しかった。) 

カーターの父親は、厳しさもあったが有能な農夫で、何事も愉快に楽しむことが好きな性格だったと言います。カーターはこう書いています。

「少年の頃、私は、言いつけられた仕事に、不平不満を言いたいと思ったことは一度もなかった。その一つの理由は、父は、私や近所の誰よりも、働いたからである。」

母親は有資格の看護婦で、近所の病院で働いていました。母親についてはこう述べています。 

「1日で6ドルという大金を稼ぐ時には1日20時間も働いたものである。仕事から帰ると、普通の母親と主婦としての任務を果たさねばならなかった。母は、また、家族や近所の人達のために村医者代わりの役割もしていた。 母はどんな種類の病気で苦しんでいる人にも深い思いやりがあったのである。」

カーターは、そんな両親の後ろ姿を見て育ったのです。彼は、少年時代農業の手伝いはもちろんのこと、ピーナッツ売りなどもして一生懸命家事を手伝いました。(この本を若い人達に勧める理由でもある。)

カーターは、こんなことを述懐しています。(「第2章・田舎育ち」から)

「私の人生は、小学校時代校長をしていた、ジュリア・コールマン女史に大変な影響をうけた。私に音楽・美術・特に文学を学ぶよう勧めたのもコールマン先生であった。」

「教え子全部に田舎の学校で習う科目以上に文学・芸術の教養を身につけるよう勧めた。 我々は討論会・[課題作文]  と呼ばれる綴り方コンテスト・音楽鑑賞・一幕物の劇の上演・綴り字競争・その他の文化的活動で大いに競いあったものである。」

「教室の生徒全部が討論や綴り字競争に参加させられ、 また、長い詩や聖書の一章を暗記、暗誦させられたのだった。我々は音楽の基本を習い、また、ウクレレ・ハーモニカ、或いは小型のピッコロなど、なにか楽器を演奏することを義務づけられていた。」


都会から離れた田舎の学校でも、古典文学・美術・音楽などを学べたことを、カーターはコールマン先生に感謝しています。また読書感想文で、先生から度々賞をもらったことも、彼の人生に影響を与えました。

12歳の時、先生から「戦争と平和」を読むように勧められたことが、特に忘れられないと書いています。はじめ「戦争と平和」は、カウボーイとインディアンに関する本だと思っていたようです。

彼はこの本から、多くのことを学びました。「人間社会の変化は指導者によって方向づけられるのではなく、最終的には一般大衆によって決められていく、ということである。」と述べています。

 なぜベストをつくさないのか?  もう一度わが身に問い直しています。



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