幼児教育を語るひろば

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語源をたどる


ヒマラヤユキノシタ(2015, 12. 4)
例年春先から咲き始めますが、暖冬のせいかもう花をつけています。
 原産地はヒマラヤなのでしょうか?


3日付け朝日新聞の「折々のことば」から
骨は「秀根(ほね)」で、人の大事な根のこと。かって体を「幹(から)」と言い、手足は枝と言った。

ふだん何気なく使っている言葉も、語源を調べると意外な由来があることに気付かされます。そこで、いくつかの言葉の語源をたどってみました。

素晴らしい時に使われる「立派」は、道元禅師が曹同宗一派を立てられたことに由来すると言われます。

「弱冠」と言うと、歳が若いことです。中国では二十歳の男子を「弱」と言い、元服して冠をかぶる歳でした。それで二十歳のことを弱冠と言うようになりました。

「まだ新米ですから・・・」と言ってへりくだりますが、新米は「新前」が元の言葉で、前掛けのことです。昔商家の見習いは、前掛けをしていました。新前は新人のことで、転じて新米になりました。

話に無理があるのを、「こじつけ」と言います。「こじ」は「古事」で、昔から言い伝えられた事です。 それらの古事に無理やり結びつけて、正当化しようとするのをこじつけと言うのです。

先日子どものいたずらについて書きましたが(11月28日付けブログ「子どもの目」参照)、「いたずら」は「徒ら」と書きます。徒らには、物が無くて物足りない・むなしい・ひま・・・ などの意味があります。

「徒らに為す」と言えば、ひまに任せてやる、つまり役に立たないようなことを為すことです。そうなれば、他人に迷惑をかけることになります。いたずらの語源のようです。

「生意気な子だ!」と、腹立たしく思う時があります。「生」は、不完全・熟しきらない状態のことです。「生じっか意気がある子」ということです。意気(積極的な気持ち・気構え)があっても知ったかぶりしているだけ、というわけです。

いま流行りの「可愛い」は、「かわゆい」から転じた言葉です。古くは、「可哀想」から「可愛そう」に変わって行きました。「弱い立場で気の毒だから、愛情持って接してあげよう」、ということになります。

「億劫(おっくう)」と言いますが、劫は長い時間のことです。 それが億ですから、それこそ気が遠くなるような時間です。でもお坊さんは、修行がどんなに長くても、億劫と思ってはならないということです。修行から逃げることは許されないのです。私たちにも言えることです。

言葉の語源を調べ出すと、切りがありません。最後にもう一つだけ・・・

「女房」は庶民的な言葉として愛用されてますが、古くは宮中で独り住まいの房(部屋)を与えられた高位の女官のことです。今の住宅事情から考えると、皆さん「女房」失格です。


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