幼児教育を語るひろば

幼児教育を語るひろば

人間形成(2)

集団より個人に中心を置くのが、民主主義のルールです。一方で私たちは、社会生活をしているので、宗教や思想の異なる人とも相互に協力し合うことが必要です。これも民主主義のルールです。一見矛盾しているようですが、それが人間形成の土壌になっています。

教育基本法では、教育の目的を次のように定めています。
「 教育は、 人格の完成を目指し、 平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」(2006年12月15日改正)

すなわち、優れた個人であると同時に 優れた社会人を求めているのです。
つまり、個人が国民に形成されるのが目的です。

人格を「日本語・語感の辞典(中村明著・岩波書店発行)」で調べると、「人間としての品格の意」とあります。そして、類義語として次のような言葉をあげています。

 気質・気象・気性・気立て・性分・人品・人物・性格・性向・性質・たち・人となり

「品格」と言われると、 人物の大きさや幅も含まれるような気がします。 これが社会性につながり、人間形成の基盤となるのではないでしょうか?

戦後日本は、国家主義から個人主義へと大転換しました。それなのになぜ法律(教育基本法)によって、このような教育の目的を規定したのでしょうか?

「人間は社会的動物である」と、言われます。話を戻しますが、私たちは社会を離れて存在することは難しいのです。ということは、人間形成(人間の成長)に当たっては、個人と社会人を対比させて考える問題では無いということです。言い換えると、「人間形成」とは個人が社会性を身につけることなのです。

学問や技術の発達は、本来人間に自由と幸福をもたらすものです。しかし最近は、人間の自由や平等を奪う事態を生んでいます。個人と社会人のバランスが、崩れてきたからではないでしょうか?  そうだと、まともな人間形成は期待出来ません。

ルソーは、「自然にかえれ!」と言いました。教育基本法では、個人よりもむしろ社会人の形成に教育の目的を求めています。ルソーは、個人としての自然人の形成を教育の目的と考えました。再考する時ではないでしょうか?

人間形成は、個人と社会人という二つの側面があると言いました。教育基本法では、個人と社会人が国民としての生活が矛盾せず調和するように求めています。もしも、教育の結果形成された人間と社会との間に矛盾を生じたら、教育は相反する人間を作り出すことになります。

教科の学習のみに重点が置かれ、雑多な知識の詰め込みによって教育の目的が達成されると考えると、教育は人間形成上大きな誤りを犯すことになります。



コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://freesia7.blog10.fc2.com/tb.php/1591-67a1c99d