幼児教育を語るひろば

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子どもの遊び

幼い頃の遊びで思い出すのは、戦争ごっこと里山を駆け回ったことです。戦争ごっこは時節柄としても、里山での思い出は今でも強烈に残っています。

戦争ごっこでも、未だに役立っていることがあります。塹壕(敵の攻撃から身を守るために、地面に掘った溝。)掘りの技術です。先日も庭に穴を掘る時、孫に教えて感心されました。

地面をすり鉢状に掘ると、掘った土が底に溜まって効率が悪いのです。(当時はシャベルのような物が無かったので、手や棒切れで掘った。) そこで逆すり鉢状に掘る(溝の壁を削るように掘る)と、うまく掘れるのです。遊び仲間の先輩たちから学びました。

戦争ごっこで覚えたことが、もう一つあります。遠出をして疲れると、先輩たちから「へこたれるな!」と、励まされました。へこ(兵児)は男の子のことで(鹿児島地方の方言)、「へこたれる』は、男の子の帯が垂れ下がってしまうこと(ふんどしが解ける意で、意志がくじけて弱ることに通じる。)だと言われました。

里山と言ってもそんなに整った環境ではありませんが、小川が流れ、小さな池があり、雑木林が広がっていました。小川では小石を拾って、水切りをして遊びました。雑木林では、現代っ子同様にカブトムシやクワガタを探しました。虫の探し方も、先輩から教えてもらいました。

池ではタニシを捕ったり、ザリガニを見つけたり(当時は、まだ日本ザリガニがいました。)、アメンボウを追いかけたりしました。アメンボウを捕まえてみると、甘い飴の香りがしました。「だからアメンボウと言うのだ。」と、これも先輩から教わりました。

夕方になると、オニヤンマやギンヤンマなど大型のトンボが、池に卵を産み付けるために飛んで来ました。先輩に教わって、糸に小石の錘をつけてトンボ目がけて投げました。トンボが餌と思って飛びついて来ると、糸が絡まってトンボを捉えることが出来るというわけです。殆ど成功しなかったのですが、楽しい思い出として残っています。

里山には野原もありました。そこで鬼ごっこをしたり相撲を取ったりしました。遊びのルールも覚えました。野原に寝そべりながら、春の七草を見つけました。ペンペングサは、本当の名はナズナと言うこともその時に知りました。

里山の端に墓地がありました。墓地にはヒガンバナが植えられていました。ヒガンバナには毒があるので、お供え物を狙う小動物除けだとも教わりました。

うさぎ追いし  かの山  こぶな釣りし  かの川
  夢はいまもめぐりて  忘れがたき  ふるさと

                               (高野辰之・詞   岡野貞一・曲)

まさに小学唱歌「ふるさと」の世界でした。いずれにしても、子ども時代の遊びから学んだことは一杯あります。自然観察の力もこの時に培われたのです。
だからこそ幼児教育では、遊びを大事にしているのです。

昔の子どもは(本質的には今も変わらないはず)、外で仲間と群れて体を動かして遊びました。

鬼ごっこ・隠れんぼ・縄跳び・ボール遊び・馬跳び・陣取り・缶蹴り・べーごま・ビー玉・ゴム段・虫取り・・・  数えれば切りがありません。

冬は(お正月を中心に)家族で室内遊びをしました。

カルタ・花札・すごろく・百人一首・福笑い・はさみ将棋・あや取り・ぬり絵・人形遊び・おはじき・・・  家族が団欒出来るひと時でした。

カルタや百人一首で覚えた諺や短歌が、今でも口をついて出て来ます。

 追風に帆を上げる  ・  すずめ百まで踊り忘れず  ・ ・ ・ 

 花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに 
                                                    (小野小町)
  村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧たちのぼる 秋の夕暮れ 
                                                    (寂蓮法師)


子どもの遊びについては、いつかまた取り上げる予定です。



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