幼児教育を語るひろば

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失敗したらやり直せばよい

俄かラグビー ファン
ラグビーW杯で日本は南ア・サモアを破り、W杯では初めて1大会2勝を挙げたというニュースに感動しています。1次リーグを突破して、準々決勝に進むことを願っています。野球・サッカー・ラグビー・・・ と、節操無く応援していますが、負ければサッと熱が引く俄かファンです。


失敗したらやり直せばよい
負け方上手
「人生で最後まで失敗や敗北を経験しないなどということはあり得ない。むしろ負け方上手の癖を早くつけて、 回復力の旺盛な人間を育てることが大事!」 と、アメリカ人は言います。

最近の日本では、競争を嫌う・優劣をつけて差別しない・・・ こんな傾向が強いようです。「失敗は成功の基」、失敗したらやり直せばよいのです。失敗をいつまでも引きずらないこと、ましてや自殺などと思い詰めるのはもっての外です。

弘法も筆の誤り
日本三筆(嵯峨天皇・橘逸勢・弘法大師)と言われる弘法大師でさえ、書き誤ることがあるというのです。ましてや凡人の私たちが失敗するのは当然です。

本題に入る前に、弘法大師がどんなに偉い人だったか?  一部を紹介します。

弘法大師は平安時代のお坊さんで(774〜835年)、真言宗の開祖です。幼い時から優れていて、15歳の時には難しい「経史文章(論語・孝経・史伝・文章)」を習得しました。18歳で京の大学寮に入り、「明恵道(儒学を研究・教授)」を専攻しました。「詩書(詩経と書経)」・「春秋左氏伝(春秋時代を中心とする歴史書)」なども学びました。

大学の学問に満足出来ずに、19歳を過ぎた頃から山林修行に入りました。山中や海浜の洞窟などを宿とし、山野草を食べながら、寒暑に耐えて苦練修念の行に励みました。青壮年時代のこのような生活が、弘法大師の日本全国奇跡行脚伝説として残りました。この頃に、「空海」と名乗ったようです。(海浜の洞窟から空と海を眺めていて思いついた名と言われる。)「弘法大師」は亡くなってからの贈り名です。

31歳の時遣唐使に選ばれて(804年)から、空海は僧侶としての頭角を表して来ました。唐に渡った空海は、長安の青龍寺の恵果和尚に師事しました。恵果和尚に見込まれた空海は、半年の間に「金胎両部(こんたいりょうぶ)」の密教を授かりました。(33歳で帰国)

43歳の時に(816年)、 修禅の道場として朝廷から 「高野山」 を賜りました。50歳で(823年)国家鎮護の真言道場として東寺を賜りました。

62歳で亡くなりましたが(高野山金剛峰寺にて)、大師は真言宗の開祖としてばかりではなく、文学・美術・教育の多方面で業績を残されました。

特に教育では、日本初の学校創設者と言えます。綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)がその学校で、広く一般庶民の教育を儒仏道(儒学・仏教・道教)の3教によって行いました。

あまりにも偉い人なので、つい紹介が長くなりました。本題に戻りますが、「今昔物語」にこんな話が残されています。

大師は勅命により大内裏の應天門に掲げる額を書くことになりました。書き終えて門に掲げてみたら、なんと「應」の字の最初の一画目の点が欠けていました。こ時の様子がこう書かれています。

應天門の額打ちつけて後これを見るに、はじめの字の点、すでに落ち失せたり。驚きて筆を投げ点をつけ・・・ と。

要するに下から筆を投げて、「應」の字の欠けた点を書き加えたというのですから驚きです。でも流れる水に「龍」の字を書いたら、そのまま本物の龍になって泳いで行ったという伝説もあるくらいですから頷けます。

大事なのは、「どんな偉い人でも失敗はある。でも失敗したらやり直せばよい。」と言うことなのです。弘法大師の真似は出来ませんが、失敗を恐れることはありません。

弘法筆を選ばずという諺もあります。世の中万事、あまり細かいことにこだわる必要は無いのです。


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