幼児教育を語るひろば

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原爆投下から70年(1)

天災が忘れぬうちにやって来る
広島在留中、天災が続きました。関東・東北豪雨による大水害、東京地方を驚かした地震(調布市で震度5弱)、口永良部島に続く浅間山・桜島・阿蘇山の噴火、おまけにチリで発生した地震による津波の襲来、地球がおかしくなったのでは? と心配です。


原爆投下から70年
広島へはここ25年ほど足を運んでいますが、原爆については「平和記念資料館」を2度見学した程度です。広島市内を歩いても、原爆の爪痕を見る場や機会は殆どありません。

そこで今回は、原爆ドームをを中心に原爆被害の跡を訪ねてみました。

爆心地 (広島市中区大手町1−5−25)
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原爆ドームから約160mの地点に、島外科内科病院があります。ここが爆心地と言われ、病院の側面にモニュメントがありました。

島病院は市内でも評判の良い病院だったそうですが、当時病院の中にいた80人余の職員・患者は全員即死したと言われます。

原爆ドーム
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今までも市内に出る度、原爆ドームは目にしていました。でも今回は、時間をかけてしっかり見て回りました。

1915年(大正4年)、「広島県物産陳列館」として建築されました。煉瓦造りの3階建てで、中央部は5階になり楕円形のドームになっていました。主に美術展や博覧会場として利用されたようです。

その後、「広島県立商品陳列所・広島県立産業奨励館」と改称されました。戦争末期からは、官公庁等の事務所や木材会社としても使用されました。

昭和20年8月6日午前8時15分、アメリカのB29爆撃機からあの原子爆弾が投下されました。一瞬にして爆風と熱線で、ドームは大破・全焼しました。建物内にいた30余人の人は、全員即死しました。かろうじて残った建物の骨組みが、今の原爆ドームなのです。


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