幼児教育を語るひろば

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再 個性を大事にする教育

縁があって、小学校の理科の授業を参観する機会がありました。
(6年生・単元「電気の利用」)

子どもたちの前には、沢山の電化製品が用意されていました。彼らはそれらを
操作しながら、消費される電気量を電圧計や電流計を使って測定しました。

電化製品によって、電気量は違います。そのことから、電気の変換や有効利用について子どもたちは考えます。操作を通して子どもたちの科学的思考力を高めようというのが、教師の狙いのようです。

最後に教師は、電気の変換効率や有効利用について理解出来たかどうか、子どもたちへ確認しました。殆どの子が、理解したことを挙手で示していました。

2人ほど挙手しない子がいたのが気になりましたが、活気のある良い授業でした。ただ一斉指導の域は抜け切れません。子どもたち個々の思考がどう育った
かは、知る術もありません。手をあげなかった2人の子は、課題を理解したのでしょうか?

もし理解不十分だったら、一斉指導で心配される「置いてきぼり(あるいは落ち
こぼれ)」になってしまっています。


頭の良し悪しは遺伝で決まる、と言ったら身も蓋もありません。頭の良し悪しは、子どもの思考力の問題だと私は考えます。

思考がスムーズに理解にたどり着けば、頭が良いと言われます。思考が寄り道したり・ずれたり・後ずさりしたら、頭が悪いと言われるのです。

学校では、早く答えを出す子が頭の良い子(集団にも付いて行ける)、ゆっくりと答えを出す子が頭の悪い子(集団からは遅れる)、と言われる傾向があります。

一人一人の子どもをよく見ると、色々と個人差があります。また頭の良し悪しだけで無く、生活経験にも個人差があります。思考がスムーズな子・のんびりしている子、これも個人差の問題です。集団が大きくなればなるほど、個人差は多様になります。(個人差は遺伝説の根拠にもなっていますが)

一斉指導では、同じ学習課題に取り組まなければなりません。課題に対して、半ば強制的に興味を持つように仕向けられます。そのため、途中から興味を無くして置いてきぼりになる子も出てきます。だから一人の教師がコントロールする一斉指導で、同じ課題を共通理解させるのは無理があります。

子どもの思考の出発点は、個々の身近な事物への興味・関心からです。それと生活経験上の興味・関心が合わさって、探求課題となります。つまり個人的なこだわりを大事にしてやらないと、学習意欲につながらないのです。

一斉指導での学習課題は、子どもの生活経験を無視しがちです。学習課題への興味・関心と、生活経験上の興味・関心は切り離されます。言い換えれば、個人差は大事にされず生かされません。個人差を大事にしないと、子どもの思考力はアップしないし、考える力も育ちません。

中教審は、「アクティブ ラーニング(Active Learning)」という新しい授業形態を提唱しています。従来の講義形式(一斉指導を含め)を改め、議論や体験学習を通して、考える力を育てると言います。8月中には、学習指導要領改定に向けて中間報告されるようです。期待して見守りたいと思います。


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