幼児教育を語るひろば

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七夕

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大きくなったサボテンが、4鉢ほどあります。先週あたりから清楚な白い花が、
次々と咲いています。まだ花芽がいくつかありますから、しばらく楽しめます。



幼稚園は、今頃になると七夕飾りの製作で忙しくなります。私が勤めたS幼稚園は、玉川上水沿いにありました。上水の土手に生えている笹が、園庭にまで侵入してきます。だから七夕飾りの笹には不自由しませんでした。

園児たちに、「天の川を挟んで牽牛星と織女星が、年に1度会える日だよ。日本では、牽牛星をひこ星・織女星をおりひめ星と呼びます。おりひめはたなばため(棚機女)と言って、機を織る女の人のことです。」 と説明しました。

すると子どもたちから、「機を織るって何?」と質問されました。「機織り」は、いまや死語になっていることを知りました。

牽牛星と織女星の話は、中国の伝説です。日本にも、たなばため(棚機女)の信仰がありました。「たなばた」の語源は、「棚機」だと言われます。

笹に願い事を書いて吊るすのは、江戸の町人たちの間で広まりました。そして棚機女に、裁縫や習字が上手になるように願いました。(子どもたちは、「裁縫」の意味もわかりませんでした。裁縫も家庭から消えてしまったようです。)

私が子どもの頃は、里芋の葉に溜まった露で墨を摺って文字を書くと、書道が上達すると言われました。七夕の朝早く、草花に溜まった露集めをしたことを思い出します。

笹の葉に吊るす「短冊」は、古くは占いに使われました(日本書紀による)。 平安時代になって藤原道長が初めて和歌を書いたと、清少納言の日記に書かれています。

それ以後短冊は、歌書のために使用されました。正式な短冊は、幅約6cm・長さ約36cmもあります(現在市販されているもの)。江戸の人たちは、歌合わせを真似て七夕飾りに小さな短冊を用いました。

江戸時代は、7月6日の夜にたなばためが棚機(七夕)の神様を迎え、7日に送るのが慣わしでした。七夕の神様を送るために、禊ぎや祓い(罪や穢れを除く)が行なわれました。

そのために今でも子どもに水浴させたり、女性が髪を洗ったりする風習が残っている地域があります。(七夕流しや青森のねぶたなども)

七夕と梅雨の季節が重なります。7日の夜が晴れるように祈りながら・・・


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