幼児教育を語るひろば

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他力


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 我が家はツツジが盛りです (2015, 4. 28 写す)

久しぶりに「歎異抄(岩波文庫・金子大栄校注)」を紐解いてみました。

千葉で起きた18歳少女の殺人事件が動機です。幼なじみで高校の同級生だった少女(18歳)が、顔見知りの男たちに頼んで殺害した事件です。頼まれたのは、20歳(2人)と16歳の少年の3人です。

なぜこのような少年少女の凶悪事件が続くのでしょうか?
そしてこの愚か者たちにつける薬は無いのでしょうか?

「歎異抄」に、「罪悪深重 煩悩熾盛 (ざいあくじんじゅう ぼんのうしじょう)」と言う言葉があります。

「愛と憎しみとの煩い悩みの熾盛なるは人間の現実であり、これによって思い知られることは罪悪深重であるということである。(金子大栄校注)」とあります。所詮人間は、罪深い生き物のようです。

歎異抄の13章には、こんなことが書かれていました。

よきこころのをこるも、宿業のもよほすゆへなり。悪事のおもはれせらるるも、悪業のはからふゆへなり。故聖人のおほせには、卯毛羊毛のさきにいるちりばかりもつくるつみの、宿業にあらずといふことなしとしるべしとさふらひき。

つまり善悪は、宿業(前世で行った行為)によると言うわけです。彼らを生まれながらのワル(悪)と決めつけてしまえば簡単ですが・・・

「そこに善に誇らず悪に僻まない立場がある。またそこに自の善に執せず、他の悪を裁かない心機がある。それでなくては、同一に念仏して如来の彼岸に帰するということはないであろう。(金子大栄校注)」とあります。

自を善とし他を悪とする人のさが(性)は、どうすることも出来ません。そのために煩悩が募って、益々罪悪を重ねることになります。非行化した少年少女は、もう立ち直れないのでしょうか?

歎異抄第3章ではこう書かれていました。

善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。

非行に走る少年少女には、次のような特徴があります。

彼らは孤独です。根本にあるのは、ひとりぼっちだという疎外感です。 それに、
自分の価値を希薄と感じていることです。自分の存在や生きてることに、自信がありません。自分を肯定すること、愛することが出来ません。だから他人を認めたり愛したりすることも無いのです。

そこで歎異抄第1章に戻ると、どんなワル(悪)でも救われる教えがあります。

弥陀の本願には老少善悪の人をえらばれず、ただ信心を要とすと知るべし。

「他力信心」と言われる教えです。これしか救いようは無いようです。 
私は「他力」を天与の力と解釈しています。それは人間を支える目に見えない大きな力です。人間が生きるためのエネルーギー源でもあります。自分の運命に
関わる力でもあるのです。

他力によって私たちの思考や行動は、支配されています。罪悪深重煩悩熾盛な
世の中でも、悪に落ちることなく他力に後押しされながら私たちは人の道を歩めます。

少年少女の事件が多発する背景に何があるのでしょうか? 

*価値観の多様化(ものの見方や価値観が偏っている)
*貧困や格差(人並みの暮らしが出来ない)
*バーチャルリアリティー化(生命軽視)
*大人不信(親・教師・社会への不満)・・・ など。 

何事も信じることが出来ない「不信の時代」になってしまったのでしょうか?
五木寛之氏は、著書「他力(講談社発行)」の中でこう言います。

自分自身すら愛することができないとき
 自分の生命を希薄に感じる、自分の命の重さが感じられないということは、
すなわち他者の生命の尊さも実感できないということです。

ひとりぼっちだという疎外感
 この疎外感を増長させているのが、涙を切って捨てる近代主義ではないでしょうか。

問題は”委任社会”になったこと
 子供の教育に関しては、学校と先生にお任せする。そして、何か問題が起きたりすると、学校と先生に文句を言う。任せた瞬間から、子供の教育は自分が見るという気持ちが失われているのです。そして、しつけまで学校で見てもらおうとする。学費は払っているし、国の税金は納めているから当然だという考えです。

非行に走る子どもたちへ、他力をこう説いたら分かるのではないでしょうか。(五木寛之氏の「他力」から)

人間が自立して生きるためには、まず自分の中に埋もれているさまざまな感覚を呼び覚ますことが必要です。

五感を磨くことと同じように大事なことは、強く歓び、深く悲しむということです。人間は大いに笑い、大いに涙を流せばいいのです。深く悲しむ人ほど強く
歓ぶことができる。たくさん涙を流す人ほど大いに笑うことができるのです。

自分の欠点やマイナスを気にせず、振幅の大きい、自由で生き生きとした人間の感情の発露が、日常生活のうえにもプラスになり、社会生活のうえでも大きな
信頼となって跳ね返ってくるのだ、と考えることが大切でしょう。


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