幼児教育を語るひろば

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親思う心に勝る親心

久しぶりに同期生のKと会いました。彼は息子家族と同居しています。
「最近息子が優しく親思いになってきた。ゴールデンウイークには、箱根の温泉へ行くようにと手配してくれた。若い頃は親のことなど無関心だったのに・・・ 」と、嬉しそうでした。

子どもは成長するに従って、親の助力が鬱陶しくなってきます。いつまでも親に依存するのを潔しとしないばかりか、親から遠ざかろうとします。

親から見れば、子どもはいくつになっても子どもです。だから子どもへの手出し・口出しは、親の役目と信じています。でも子どもの方は、自分の価値観を確立して自立しようとしているのですから迷惑です。

いつの時代もこのパターンは変わりません。Kの息子も、パターン通りに成長していたのです。

私は彼の話を聞きながら、芥川龍之介の「杜子春」を思い浮かべていました。
峨眉山の老仙人から、2度も大金を貰って贅沢三昧に浪費した杜子春が、3度目は仙人にして欲しいと頼みます。

仙人は杜子春を峨眉山へ連れて行き、「これから自分は天上へ行くが、帰るまでにどんなことがあっても口を利いてはならない。口を利いたら、仙人にはなれない。」と言って出かけます。

仙人の留守中に猛獣が襲ってきたり、雷・突風・豪雨などの天変地異に見舞われたりします。さらには、三叉の鉾を持った身の丈3丈(9m)もある神将に刺し殺されます。

それでも口を利かない杜子春でしたが、魂は地獄へ追いやられます。そこで今度は、閻魔大王の過酷な責苦に苛まれます。大王は「なぜ峨眉山上に座っていたか白状しなければ、その方の父母に痛い思いをさせてやるぞ。」ということになります。

2匹の痩せ馬に変えられた杜子春の両親が連れ出されます。「その2匹の畜生を、肉も骨も打ち砕いてしまえ。」と、大王は鬼どもに命令して未練未釈なく打ちのめします。

杜子春は目をつぶって必死になって仙人の言葉を守っていると、耳元でかすかな声が聞こえました。
「心配をおしでない。私たちはどうなっても、お前さえ仕合わせになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何とおっしやっても、言いたくないことは黙っておいで。」

母親は倒れたまま彼の顔へじっと目をやっています。こんな苦しみの中でも、息子の心を思いやって、鬼どもの鞭に打たれたことを恨む気色さえみせません。

杜子春は老仙人の戒めも忘れて、転ぶようにその側へ走り寄ると、両手に半死の馬の頸を抱いて、はらはらと涙を落としながら「お母さん。」と、一声叫びました。

気づいたら杜子春は、最初に仙人と会った洛陽の西の門の下に、ぼんやり佇んでいました。

「子を持って知る親の恩」  自分を育ててくれた親の恩は、身に沁みて離れないものなのです。



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