幼児教育を語るひろば

幼児教育を語るひろば

子どもとは?

さすがに大寒、練馬は午前中からみぞれ模様です。午後になっても気温は
3℃くらい、石油ストーブから離れられません。



前回の「子どもの声」の続きです。

子どもとは大人になる前の存在ですから、子どもを否定したら大人は存在しません。具体的には、何歳から何歳までを指すのでしょうか?  強いて言えば、それは子どもらしさが発揮出来る年齢です。

友だちと遊んだり喧嘩したり、時には自分を可愛がってくれる人に甘えたり、
そんな時期です。いずれにしても、大人になるまでは子どもです。

でも世の中は、昔とずいぶん変わりました。子どもらしく無い子が増えました。
外遊びが嫌いな子・運動が苦手な子・勉強に追われる子・労働を嫌う子
・自分で判断出来ない子・好きな物しか食べない子・冒険しない子・・・ など。

そんな子どもに、無関心な大人も多くなりました。そう仕向けている大人さえ
見受けられます。
今こそ子どもたちを守る環境造りが、急がれる時なのですが・・・

ルソーは「エミール」の中でこう言います。

 大人になるまで、子どもは子どもであることを、自然は望んでいる。この順序を狂わせると、熟しきらない、風味も無い、すぐに腐ってしまう速成の果実を作ってしまう。私たちは、幼い博士(頭でっかちな子)と老いこんだ子どもを持つことになる。子どもには、子ども特有のものの見方・感じ方があるのだ。それに代えて、私たち大人のものの考え方・見方を押しつけるくらい、愚かしく無分別なことは無い。

ここで子どもを色々な角度から考察してみます。(大人の対応も含めて)

確かに子どものハシャギ声(大人から見れば馬鹿騒ぎ)は、大人にすれば迷惑だし、腹立たしいことです。だから子どもの声は騒音であって、子どもを悪者扱いすることになります。でも子どもの方は、大人のそんな気持ちには無頓着です。

ただ子どもは、大人のミニチュアではありません。然し自分が社会的にどのように位置づけされているのかは、 あまり分かりません。

子どものハシャギ声は、子どもの成長過程における通過点に過ぎません。それを否定すると、子どもの順調な成長を妨げることにもなり兼ねないのです。

子どもは自己中心的で、その上気まぐれです。大人は自身の気まぐれについては寛容ですが、子どもの気まぐれには厳しいものがあります。

子どもは平気で約束を破ります。然し自分から進んで交わした約束は忘れません。矛盾しているようですが、子どもの世界では通用します。矛盾に満ちているのが、子どもの世界です。

大人は意外と子どものことを知りません。と言うより、自分が子どもの頃を忘れてしまっているのです。子どもを知るためにも、子どもになりきって一緒に遊んであげましょう。

子どもの目線に立つと、子どもが見えてきます。そこで子どものハシャギ声を話題にすれば、子どもはすぐに気づいて、迷惑をかけないように行動します。子どもとは、そういうものなのです。


コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://freesia7.blog10.fc2.com/tb.php/1499-b39895c1