幼児教育を語るひろば

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子どもの声

私は長年子どもの声(と言うより喚声)に囲まれた生活でしたから、子どもの声がうるさいというより、聞けないと寂しい・物足りないというのが実感です。

ところが最近は、子どもの声がうるさいと問題になっています。特に都市部で、しかも中高年が文句を言っているようです。幼稚園や保育所を造ろうとすると、すぐに反対の横槍が入ります。

そこで東京都は、「環境保護条例」を改正して、子どもの声が限度を超えた場合は改善勧告が出せるようにすると言っています。子どもの声はうるさいのが当たり前なのに、愚かなことです。

言語活動は、進化の過程で人類が獲得した最高の能力です。子どもたちのおしゃべりは、コミニュケーション・システムを豊かにして、彼らの成長を助けます。
中高年たちも、この道を歩んで来たはずなのですが・・・

17日付け朝日新聞のオピニオン欄に、「子どもの声は騒音か」というテーマで、識者の意見が載っていました。(主な意見を紹介します)

梅田 聡さん(心理学者)
 「子どもがうるさいという場合、単に声の問題にとどまらず、状況によることがよくあります。電車の中で子どもが叫んでいたとして、親が懸命にあやしているならば理解を示しやすいのに対し、親が放置していると、「うるさい」となりがちです。親へのイライラが子どもの声の解釈を左右するのです。社会的な要因です。

宇野 常寛さん(評論家)
 上の世代(中高年層のこと)が子どもの声さえ我慢できないのは、つまり子どもを社会全体の財産とみなせないということです。自分たちの世代の利害を中心に考える、こんな姿勢がまかり通るのなら、たとえば高齢者に有利な年金制度なんか、やめるべきです。  (これは厳しい)

斎藤 慈子さん(行動生物学者)
 子どもと接する機会の有無が大きいのではないかと思います。現代社会は核家族化して、子どもは子ども、大人は大人と世代が分断されています。多くの大人が子どもと接する機会も少なくなってしまいました。

 子どもとの接触が限られるいまの社会のありようは、生物としてのヒトを考えると、本来、不自然といえるでしょう。ヒトの子育て戦略は「共同繁殖」だからです。


ところで、私の考えですが・・・  子どもたちが集まるとはしゃぐのは、私は闘争本能の転移行動だと受け止めています。

社会生活での順位制は、私たちの生活の基本的な様式です。言語活動でも、それがよく表れます。子どもたちは、集まれば自己の優位を確立するために大声を出します。時には、相手を威嚇するような声を張り上げます。元をたどれば、本能的行為なのです。

よい機会なので、言葉について生物学的に考察してみます。
イギリスの動物行動学者デズモンド・モリス(Desmond Morris 1928年生まれ)は、「話す」という行動パターンについて次のように述べています。


 話すという行動パターンは、本来は情報を交換して協力しあう必要が増したことから進化したものである。それは、動物には普通に、かつ広くみられる非言語的な気分発声という現象から成長した。

非言語的発声は、進化の過程で多様に言語化されました。デズモンド・モリスは言語化を次のように分類しています。

情報談話 (information talking)
 我々の祖先は、環境の事物について述べたり、また現在ばかりでなく過去や未来についても何かを述べることを可能にした。今日にいたるまで、情報談話は最も重要な形の音声的コミニュケーションである。

気分談話 (mood talking)
 今でも我々は、自分の情緒的状態を昔ながらの非言語的な悲鳴やうなり声をもらすことによって他人に伝えることができるし、また実際にそうしている。

探索談話 (exploratory talking)
 これは話すために話すことで、美的な談話、あるいはもし好むなら、遊びの談話と言ってもよい。

毛づくろい談話 (grooming talking)
社交的な場で交わされる、意味の無い、愛想のよいおしゃべり。


子どもの声は確かにうるさいけれど、彼らの成長に欠くことの出来ないものです。また大事なコミニュケーション・システムなのです。


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