幼児教育を語るひろば

幼児教育を語るひろば

七草

昨日は「七草」、松の内も最終日ですからお正月も終わりです。(松の内を15日の小正月までとする地方もあるようですが・・・)

わが家は、両親が健在の頃から7日の朝は「七草がゆ」を食べるのが慣わしでした。両親が他界してからもまだ続けていますから、もう半世紀余になります。

昔は七草(セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ)を八百屋で求めましたが、最近は全部揃えて売ってはいないようです。そこで小松菜など、旬の野菜で間に合わせています。

母の実家の習慣だったようで、わが家の七草がゆには小豆が入ります。小正月に小豆がゆを食べる地方があるので、それを兼ねていたのかも知れません。

粥を食べる風習は、正月料理で酷使した胃腸を休めるためとか、春に芽生える若菜を摘んで神前に供えて健康と豊作を祈った名残りとか、色々言われます。いずれにしても、気持ちがリフレッシュします。


朝食後書家のS先生のお供をして、深川不動と富岡八幡宮へ初詣に行きました。お正月も7日ですから人出も少ないだろうと思って出かけたのですが、案に相違してまだまだ多くの参拝者で賑わっていました。

深川のお不動さんは、「成田山東京別院深川不動堂」と言うのが正式名称です。由来は、江戸における成田不動の出開帳の場だったそうです。

歌舞伎の初代市川団十郎が、成田不動を深く信仰して、子宝(二代目団十郎)にも恵まれました。初代も二代目も不動明王をテーマにした出し物が大当たりで、江戸の人々の人気をさらいました。市川家の屋号が、「成田屋」と言われる由縁です。そこで江戸の人々も、成田のお不動さんを拝みたいという願いが深まり、深川不動の建立に繋がったと言われます。

S先生から、お寺の名前について教えてもらいました。成田不動の正式名称は、「成田山金剛王院新勝寺」と言います。

寺院には、「山号」・「院号」・「寺号」があります。「山号」は場所を、「院号」は敷地を、「寺号」は建物を表すのが普通だそうです。(寺に拠って、それぞれの由緒や来歴がある。)いずれにしても、寺の尊厳・風格を高める働きがあるとのことでした。

ちょうど内仏殿の拝観が出来たので、堂内を一巡しました。「お護摩修行」にも、参加出来ました。どちらもご利益があるそうです。

だからと言ってさらにご利益を得ようと、重ねて堂内を巡るのは「堂々巡り」と言って逆効果で、慎まなければならないと、これもS先生に教えられました。

お不動さんから隣接する富岡八幡宮にお参りして、帰路に着きました。


コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://freesia7.blog10.fc2.com/tb.php/1495-56ac7f29