幼児教育を語るひろば

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道徳の教科化

安倍政権の教育改革プログラムの一つに、「道徳の教科化」があります。来年度からは、新教材も使用される予定です。現在配布されている「心のノート」は、全面改訂して「私たちの道徳」の名称で再配布されます。

今でも小中学校には「道徳の時間」があります。でも検定教科書もありませんし評価も行われないので、他教科と比べるとやや軽く扱われているのが実態です。ですから文科省の有識者会議の報告書では、道徳教育の現状を「歴史的な経緯に影響され、道徳教育そのものを忌避しがちな風潮がある。」と指摘しています。

確かに現在の「道徳の時間」は、戦前の「修身」の変身と捉えられがちです。天皇を神格化して国粋主義を煽り、戦争に突き進んだというイメージが拭えません。

安倍政権では、「道徳」はいじめや非行の特効薬と考えています。(歴代政権は、いずれもすべてそうでしたが・・・) それに最近は凶悪事件が多発していますので、道徳教育にすがる声は高まるばかりです。

安倍首相の発言をよく聞くと、「教育とは訓練なり」という思いが、その底流に潜んでいるのです。その訓練とは、教える内容を、意図的・強制的に子どもたちへ働きかけることです。子どもの能力や意志は、無関係です。

背景には、「子どもは生来粗雑で粗暴なので、それを良い方向に変えてやるには、教師の強い指導力が必要である。それも繰り返して指導しなければ、効果は期待出来ない。」という彼の教育観が感じ取れます。

それには、教師の権威が必要です。権威によって子どもをしっかりと押さえつけ、それで子どもを管理します。教育効果を上げるには、この管理力がものを言うのです。道徳性は、こうして培われると信じているようです。

学生時代に、「教育原理」の時間で習ったヘルバルト(Herbart,J.F. 1776〜1841年)の教育方法を思い出しました。ヘルバルトは、管理(Regierung)・教授(Unterricht)・訓練(Zucht)をもって学校教育の方法体系を構成しました。

教授と訓練は、意図的に教師が子どもへ働きかける教育作用です。管理は、それを成り立たせるための手段です。
訓練は教授と結びついて、教育本来の目的を達成します。知識の伝達だけでなく、人格形成を助けます。

管理は、子ども生来の粗雑・粗暴を抑える力になります。方法は、脅しと監視です。そして管理が有効に行われるための補助手段として、権威と愛情があるとヘルバルトは説きます。

首相はヘルバルトの教育法を知って、支持していたのではないでしょうか?
いずれにしても命令や強制は、それが働いている時は人間の外観上の行動を変える力があります。でも根本的に変えることは出来ません。一時的なものです。

と言っても、私は訓練を否定しているわけではありません。強制に訴える訓練や行動の外的規制としての訓練は、感心しないと言っているのです。

子どもの具体的行動場面でのしつけや自治的訓練は、私も必要だと考えています。訓練の究極の目的が、他律ではなく自律であることを忘れてはなりません。

桃李もの言わざれども 下自ずから蹊を成す 
こんな道徳教育を望んでいます。


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