幼児教育を語るひろば

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稽古は強かれ 情識はなかれ

子どもの将来を心配するお母さん・お父さんへ

表題は、観世座を創立した観阿弥の言葉です。観阿弥の子・世阿弥が、「風姿花伝」の中で紹介しています。

観阿弥は、「世の中で認められるには、稽古によって自分の芸を磨くしかない。そのためには、自分の競争相手が自分より上手ならもちろん、下手でもそれに学ぶ心がけが大切だ。下手だって必ず長所があるのだから。」と言います。

自分より下手な者・劣る者・目下の者などから学ぶというのは、なかなか出来ないことです。それには、何と言っても素直な心・謙虚な心を持たねばなりません。

それでなくても私たちは、他人から注意されたり批判されたりするのを嫌います。つい自分の人格を否定されたような気持ちになって、反発したくなるのです。素直に聞く耳を持てないのが、普通です。ましてや友人あるいは目下の者からだと、なおさらのことです。

でも観阿弥は、下手から学ぶべきことが必ずあると言います。「山椒は小粒でピリリと辛い」のです。下手を馬鹿にしてはいけません。

(わが子の頭の悪さを嘆く前に、長所を見つけましょう!)

観阿弥の言う「情識」とは、強情・頑固・うぬぼれのことです。人の言うことは聞かず、争いを好む人のことです。
彼は、「克服しなければならない最初の敵は、情識だ。」と言います。

情識は、その人の性格にも関わることなので、改めさせるには難しいものがあります。でも性格以前に、多くの場合は、その人の生活体験によって形づくられているのです。

謙虚でおごらず、穏やかで人間的暖かみのある人は、どんな立場や地位にあっても聞く耳を持っています。「威あって猛からず」です。「そういう人になりなさい」と、観阿弥は言っているのです。

さらに彼は、「人生の花は大人になってから咲くのだから、子どもの頃の稽古を、無理したり技巧ばかり求めたりしてはならない。」とも言っています。「自然体を大事にしなさい」と言うことです。

ルソーは彼の著書「エミール」の中で、こう説いています。

「大人になるまで子どもは子どもであることを、自然は望んでいる。この順序を私たち大人が転倒させようとすると、熟しきらない・風味も無い・すぐに腐ってしまう果実を作ることになる。そして私たちは、幼い博士と老いこんだ子どもを持つことになる。子どもには、子ども特有のものの見方・考え方・感じ方があるのだ。私たち大人の、ものの見方・考え方を押し付けるくらい、愚かしく無分別なことはない。
(中略)自然は子どもの身体を鍛え、子どもの身体を成長させるために種々の手段を持っている。これには、逆らうべきでは無い。子どもが行きたい時に、”じっとしておれ”とか、じっとしていたい時に”行け”とか、強制してはならない。子どもたちの意志が、大人のために損なわれない限り、子どもたちも無益な行動は起こさない。」

少子化なのに、受験競争が激しくなっています。子どもが少ないのでわが子のことがよく見えるようになり、遅れないようにという親心かも知れません。多くの子が、塾や進学教室に通わされています。

子どもたちは受験勉強のお陰で、一時成績が伸びたように見えますが、「二十歳過ぎればただの人」と言われるケースがほとんどです。「急がば回れ!」 1歩1歩着実に安全で確実な道を歩ませることが、いま一番求められているのです。


 

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