幼児教育を語るひろば

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はだしのゲン・自由が良い

イプシロンの打ち上げ中止
昨日固体燃料ロケット「イプシロン」の打ち上げが、発射19秒前になって自動的に中止されました。安全システムが、異常を感知したようです。イプシロンは、惑星観測衛星「スプリントA」を載せていました。
素朴な疑問
宇宙開発競争が激しくなっていますが、それは人間に許されていることなのでしょうか? 国家間の利益追求と、宇宙汚染が進むだけではないでしょうか?

学力の地域差改善
4年ぶりに全国学力調査が実施されて、その結果が文科省から発表されました。2007年の調査以来、初めて公立小中学校の学力の地域差が、改善されたとのことです。メデタシ! メデタシ!
でも学力は、個人差があって当然なのです。(家庭差・学校差・地域差があっても) 学力を平均化しようなどと思うこと自体が、愚かなことです。調査結果は、家庭や学校・教育行政で、子どもたちのために活かせれば十分です。


自由が良い
「はだしのゲン(中沢啓治作)」を学校では自由に読めなかった松江市の小中学生が、これからは自由に読めるようになりそうです。26日に、閲覧制限の撤廃を、同市の教育委員会が決め直したからです。

この閲覧制限は、昨年12月に市立小中学校の校長会で、同市の前教育長から要請があったそうです。理由は、作品中の旧日本軍による残虐行為の描写が、過激過ぎるからということでした。

でも「はだしのゲン」は、多くの人々に高く評価され、650万部を超すベストセラーです。作品に共感した人は、日本人だけではありません。海外でも約20カ国語に翻訳されて読まれた、グローバルな作品です。

「はだしのゲン」は作者の自伝的作品ですが、戦争や原爆の悲惨さを訴えています。被災して絶望的な境地に立たされた主人公が、困難を乗り越えて逞しく成長して行く姿が描かれています。

戦争という愚かな行為から、残虐性や悲劇性を取り除くことは出来ません。「はだしのゲン」に、過激な描写があるのもそのためです。

大人から見れば過激な描写ですが、子どもたちはどう見ているでしょうか?
子どもの心は、まだ未分化の状態です。残虐な行為についても、その善し悪しは区別出来ません。善悪は、成長過程において学ぶものです。そのようにして、人格形成は営まれるのです。

善悪を学ぶ場は、家庭・学校・地域社会・・・ などです。子どもは生活環境から学習することによって、自ら考え判断する力をつけて行きます。
判断材料を隠しておいては、子どもは考えることが出来ません。そのためにも、子どもたちの思考活動の場や機会を奪ってはならないのです。「はだしのゲン」の閲覧制限など、愚かなことです。


手元の辞書を開いてみると「自由」とは、[ 束縛や制約を受けずに、自分の意志のままに行動する。] とあります。確かに「自分の思うままに振る舞う」ことは、他人の迷惑を考えずに行動することも含まれます。ルールを無視して行動するのも、当人の自由かも知れません。

でもそれでは、私たちの生活や生命を脅かすことがあります。歴史をたどれば、そんな事実にいっぱい巡り会うことが出来ます。だから私たちは、他人に迷惑をかけたりルールを無視したりすることは、自由の範囲から外してきました。それが人間の知恵であり、文化なのです。

アメリカ合衆国の独立宣言(1776年7月4日)では、「生命・自由及び幸福の追求は天賦の権利」と謳っています。その権利を確保するために、政府が組織され、法があるのだと言います。


自由は確かに理想的な目標ですが、現実は目標と遠い状況にあります。人間社会の多面的な発達や多様な価値観が、それを複雑にしています。でも人間の自由と幸福を目指す原点に立ち返れば、真の自由を取り戻すことは可能です。

ルソーの「エミール」によると、彼は自然人の形成を教育の目標にしています。自然人と対比するのが、「社会人」です。
「社会人は、社会という全体との関係においてのみ人間の価値を認める。善良な社会制度というのは、人間を不自然にする。個人の絶対的存在を剥奪して、社会という統一体の中へ、自我を飲み込んでしまう。」と、彼は言います。さらに「教育の目的は、何よりも先ず人間としての完全性の実現にある」とも、言っています。そして「自然の秩序の中では、人間は全て平等である。」と説いています。自由と平等を大事にしたルソーの思想です。

どう考えても、自由が良いのです。


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