幼児教育を語るひろば

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教育の本義(2)

先人たちが教育についてどんな言葉を残しているか、調べてみました。教育の本義について、考えさせられました。その一部を2回に分けて紹介します。

コメニウス(Comenius 1592〜1670年)
種属を繁殖させようとする鳥は、万物が堅く冷たくなっている冬にそれを始めることもなければ、万物が熱によって乾燥し萎んでいる夏において始めることもない・・・・ 太陽が万物に生命と力を与える春において成すのである。(人間の教育も、人生の春、少年時代に始めなければならない。)

ルソー(Rousseau 1712〜1778年)
植物は、栽培によって作られる。人は、教育によって作られる。

生まれた時に私たちが持っていなかったもので、大人になって必要となるものは、すべて教育によって与えられる。

ペスタロッチ(pestalozzi 1746〜1827年)
教授に当たっては、まず子どもに眼前の事物を他の事物から離して個別的に見ることを教え、次に事物の形、大きさと釣り合いについて教え、最後に事物を表現する言葉、あるいは名称を知らせることが必要である。すなわち、数・形・語が教授の基礎で、事物の外的理解は、数と形の関係においてなされ、言葉によって内的理解がなされる。これが直感のABC (ABC der Anschaung)と呼ばれるもので、教授の基本的条件である。

人間固有の諸能力(道徳的・宗教的・知的・身体的)の調和的発展こそ、教育の目的である。

ヘルバルト(Herbart 1776〜1841年)
訓練の究極の目標は、教授と結びついて強固な道徳的品性を陶治するところにある。強制によって確保されるおどしや監視、それらと結びついた権威と愛は、ある程度まで子どもたちをしっかりと押さえるだろうが、自ら進んで従う従順は、子どもたち自身の意思に結びついて、はじめて可能であり、それは管理によってでは無く、真の教育の結果としてのみ期待できる。

ツィラー(Ziller 1817〜1882年)
人格の発達は学校教育の主要な目的であって、子どもの全ての観念は善と結びつき、またそれに集中される。
それゆえ子どもの道徳的興味は、たえず刺激されなければならない。

スペンサー(Spencer 1820〜1903年)
社会の善し悪しは、結局その市民の性質に依存し、また市民の性質は、何よりも幼少時の訓育によって形成されやすいのであるから、家族の幸福は社会の福祉の基礎であると結論しなければならない。

エレンケイ(Ellen Key 1849〜1926年)
私の夢の中の学校では、そこに成績簿が無く、賞与が無く、また試験が無いであろう。ただ卒業の場合だけ試験があるであろうが、しかし、それはただ口頭だけのものに過ぎないだろう。細目に亘る知識の試験では無く、全体としての教養如何が判定されるであろう。

 きょうはここまで・・・


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