幼児教育を語るひろば

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花まる先生

朝日新聞の教育欄に、「花まる先生」という連載記事があります。小学校や幼稚園では、「花まる」は最高の評価印です。私も子どもたちのテストや作品に、花まるをつけました。花まるをつけられた子どもは、大喜びです。

朝日新聞で「花まる先生」と紹介された先生たちも、きっと嬉しい気持ちで一杯だろうと推察します。私自身花まるをつけたことはあっても、つけてもらったことが無いので、うらやましく思うしかありません。「堂に升りて堂に入らず」、教師としてまだまだ不十分だったのでは? と、今頃になって反省しています。


「良い先生」とは、どんな先生のことでしょうか? わが過ぎし方を振り返ってみました。

新米教師の頃は、戦後の教育民主化の中で従来の聖職観を打ち破るべく、「人間教師」を目指して生活者・労働者を声高く主張しました。それも、日教組という傘の下で・・・

1960年頃から、教師は専門職であるという主張が急速に高まってきました。特に1966年 ILOーユネスコの「教員の地位に関する勧告」以降は、教えることに専門化された知識と技術が求められるようになりました。
私もそのための研究と実践に、努力はしました。30〜40歳頃のことです。

50歳になって管理職に就くようになると、教師である自分が、如何に凡愚な人間に過ぎないかを感じるようになりました。教育という重大な仕事に携わることの責任の重さを、50歳を超えて改めて自覚するようになったのです。

教師の基本的な資質として欠くことができないのは、人間的自覚です。
ルソーやペスタロッチが説くように、教育は人間を人間たらしめる働きかけだからです。

諺に、「教うるは学ぶの半ば」とあります。教えながら、自分も学んでいるのです。遅ればせながら教職を去る頃に、私は自己の人間的あり方を正すようになりました。

「花まる先生」になれなかった反省を込めて・・・


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