幼児教育を語るひろば

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神の子と悪ガキと

人間の心には互に矛盾した二つの感情がある。もちろん、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。ところがその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥れてみたいような気にさえなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に抱くような事になる。
(芥川龍之介作 「鼻」の一節より)


いつか このブログで「七歳までは神の子」・「三尺の童子を拝す」 と、書いたことがあります。

人間は、「性善説」が前提です。だからこそ「人間尊重」の思想が生まれるのです。
事実 子どもは純粋で、その心は鏡のようです。嘘・偽り無く、人を疑いません。
幼児教育は、性善説の上に成り立ちます。

でも、時々性善説を疑う場面に出会います。

・乗り物など公共の場で、他の迷惑を省みず自分勝手に行動する子。
・自分の欲望を満たすため、わがままを主張し駄々をこねる子。
・いじわるで乱暴で、弱い者いじめをする子。
・きまりを守らない子。
・怠け者で、労働を嫌う子。
・嘘つきで、責任逃れする子。


性悪説を持ち出す前に、後天的なものと思われるものもありますが・・・・

ガキ(餓鬼)は、本来 生前の罪により、餓鬼道(死後に受ける苦しみの世界)に落ちて、絶えず餓えと渇きに苦しめられている亡者(死後 成仏出来ずに迷っている人たち)のことを言います。それがいつか子どもを表現する俗語になりました。特に 「悪ガキ」は、子どもを卑しめて云う言葉です。でも 「ガキ大将」ともなれば、子ども仲間では腕力・知力に優れ、尊敬される存在です。

話が逸れましたが、幼稚園児の遊びを見ていると、じゃれ合いから喧嘩モードになる場合がよくあります。
ただ 今の子は、劣勢になるとすぐに 「いじめられた!」 と訴えます。今の先生も親も、神経過剰気味ですから、喧嘩と受け止めて白黒決着をつけようと急ぎます。

この辺りの指導の善し悪しが、子どもの心を決めることになります。子どもは、神と餓鬼の心を併せ持っているのです。じゃれ合いの結末を、ゆっくり見守る余裕が大切です。(怪我さえ無ければ、喧嘩と決めつけるのはやめましょう!)

異質な心を併せ持つ子どもは、一見矛盾しています。元々矛盾した存在自体が、子どもなのです。
大事なことは、子どもを枠付けしないことです。
ただ 神の心も、磨かざれば光を放たないことを知りましょう。


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