幼児教育を語るひろば

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再・教師とは?

体罰で教え子を自殺にまで追い込んだ大阪の高校教師・卒業式のある3月末まで
勤めていると退職金が減るといううのでその前に辞めた教師・・・・ 
教師に対する批判が何かと多いこの頃です。

私が教職に着いた頃も、「デモ・シカ先生」・「サラリーマン教師」・・・ などと言う言葉が流行りました。要は、あまり教育に熱心で無い先生・力量不足の教師を非難する
言葉です。

教師に対する批判は、ずいぶん昔からありました。それは、教師への期待の裏返し
だと思われます。幼児教育の祖と言われるフレーベル(1782~1852年)も、こう
言っています


教師と呼ばれる人はたくさんいるけれど、本当の教師 (シュール・マイステル)は
少ない。 前者はただ外面的な事象だけを教えているが、後者は神の本性を感得
させるように導く。


明治以降、教師観は変遷してきました。
明治から太平洋戦争終結(1945年)までは、教師は「聖職者」として敬われます。
終戦後労働運動の高まりと共に、教師も「労働者」という主張が強くなりました。
やがて教育内容に関して、高度な知識や技術が教師に求められるようになって、
「専門職」と言われるようになりました。

専門職と言われるのは大事なことですが、地位や名誉に気を取られ、知識や技術
面ばかりを追うあまり、教育者としての責務を忘れてしまう傾向が強くなりました。

教育者としての責務は、もちろん人づくりです。人間性(人格)の育成です。
それは、教師自身が誠実に努力する意欲や態度を見せることによってのみ可能で
す。子どもたちは、その後ろ姿から学ぶのです。
教育の成果は、実践的示範によってのみ花開きます。 口先だけの指導や、体罰
からは期待出来ません。

退職金問題で早期退職を余儀なくされた教師たち・・・ 労働者意識も培われてきま
した。もし私だったらどうしたでしょうか? 分かりません。それぞれの事情も違うで
しょうし・・・ それにしても行政の処置にも、首を傾げたくなります。

ただ一般庶民の感覚には、「教師は聖職者」という感覚が残っているのも確かです。
そう考えると、私は辞められなかっただろうと思っています。


(付録)
 フレーベルは、1844年に出版した 「母の歌と愛の歌」でこう説いています。

自然的な母性愛による保育では無く、母と子の間の自然の生活において、その生活
の底流にある生活を成り立たせるものを感得させるように!
(自然の生活において、超自然的なもの(神の本性)を感得させる。)


フレーベルは 「万物の中に神が宿っている。神の本性が万物の本質である。
この本質を表すことが、人間の使命である。その使命を果たせるように導くの
が、 教育である。」と、言います。

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