幼児教育を語るひろば

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体罰を憂う

動物の行動を見ると(人間も含めて)、闘争心は本能的なものです。
暴力は、その手段です。
有史以前の自然界は、弱肉強食・喰うか喰われるかの時代でした。
生きるためには、闘って勝つしかありません。暴力公認です。
(現在でもその名残りは、色々な場面で見られます。)

長い歴史を経て人類社会は組織化され、秩序ある生活が営まれるようになりました。
人類の知恵によって築き上げられた文化です。

闘争心は次第に儀式化されて、スポーツとして生まれ変わりました。
暴力は、スポーツを支える技能として様式化されました。
多様な業(技)やスタイルが、創造されました。

争いや暴力を無くすために、スポーツが生まれたのです。
そのスポーツ界で暴力が(体罰を含めて)まかり通るというのは、おかしな話です。

近代スポーツが普及したのも、ここ百年です。
日本人は、欧米人に比べて体格が劣ります。
施設も予算も、十分ではありません。
そのため世界の選手と闘って勝つには、気力や精神力で補うのが早道になりました。

そんな風潮が、体罰を熱血指導として許したのではないでしょうか?
確かに昔は、家庭でも学校でも体罰が当たり前でした。

何で殴られたのか? 何処が悪かったのか?
分からぬうちに、親や教師の拳骨が飛んできました。
終戦と同時に暴力が否定され、親や教師から体罰が消えて、ホッとしたのを覚えて
います

でも、体罰は生き延びていたのです。学校教育の中で、スポーツ界の中で・・・・
日本という風土も影響したと思います。
産業も経済も、他国に依存する島国です。どうしても精神力が幅を利かせます。
それに一度根付いた精神論は、なかなか無くなるものではありません。

体罰は、そんな日本人の心(劣等感でしょうか?)の裏返しかも知れません。
それでも体罰では、真の勝利は得られません。
人類の叡智が築き上げたスポーツという文化を、大事にしましょう! 
そして壊さないためにも、体罰を許すことはできません。


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