幼児教育を語るひろば

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原爆の日のひとり言

ポーチュリカ
 ポーチュリカ (はなすべりひゆ)
 夏の強い陽射しにも負けずに、毎年花をつけます。
 マツバボタンの親戚です。


長崎在住の幼友だち(小・中・高と一緒)が、先月亡くなりました。告別式に参列出来なかったので、追善のため出かけてきました。70年余の付き合いでしたが、霊前に詣でて、何か一区切りついたような気持ちになりました。

帰路、広島の娘の家に寄りました。
奇しくも原爆の日を前に、原爆を被災した二都市を訪れたことになりました。

長崎も広島も、暑い日が続きました。こんな季節に原爆が投下されたのですから、被災した人々の苦痛も倍加したのではないでしょうか。焦熱地獄どころか八大地獄すべての苦しみを、罪の無い被災地の人々に背負わせたのだと、核兵器を憎みました。

いま広島や長崎の町を歩いても、原爆の被害状況を知る術はありません。想像を絶する破壊力や殺傷力の傷跡も、見つかりません。でもそれは、広島や長崎が見事に復興した証であり、日本が平和になった証でもあるのです。

原爆投下から67年、二度とこんな悲惨なことがあってはならないと、何度も誓い合いました。でも核の事故は続きます。特に記憶に残るのは、1979年のアメリカ・ペンシルベニア州のスリーマイル島原発事故、1986年のソ連(現ウクライナ)のチェルノヴィリ原発事故です。

忘れてならないのは、1954年 太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で、アメリカの水爆実験による放射能の灰を大量に浴びた日本の漁船「第五福竜丸」のことです。
被災した同船の無線長だった久保山愛吉さんが、このため亡くなりました。

そして、今回の福島第一原発の事故、放射能の怖さを思い知らされています。それでも私たちは、その怖さを軽視しがちです。核は、まだまだ人間がコントロール出来ない代物なのです。核兵器や原発を持つことは、まだ許されていないのです。 
と、福島第一原発の事故が教えてくれているのですが・・・・

政府が全国11ヶ所で開いたエネルギー政策の意見聴取会で、「2030年までに原発ゼロを求める意見が7割を占めた」 というニュースを、広島で聞きました。

7割もの多数が原発ゼロを求めているなら、脱原発はすぐにも実現されるように思います。でも、そうは簡単に行かないようです。閣僚でも「脱原発は非現実的な見方」と、公言している人がいます。経済界でも「GDP(国内総生産)への影響が大きい」と、脱原発には反対です。一般でも「家庭経済の負担増になる」と言って、反対する人がいます。

原発ゼロを主張する人たちは、自然エネルギーの開発を求めています。それが可能なら、文句はありません。然し課題が多く、開発はスムーズに進まないのが実状です。自然エネルギーの開発には、研究費を含めて膨大な予算が必要です。立地条件もあって、場所の選定にも苦労します。蓄電施設や配送電施設にも、多額のお金がかかります。

そう考えると、脱原発は、振り出しに戻ってしまいます。
電気に依存しないと暮らせない私たちは、節電以外に解決策は無いのでしょうか?

最近は、気象現象も異常と言われます。確かに気温は、昔の暑さと違うような気がします。人間の活動が活発になれば、温室効果ガスが大量に放出されます。温室効果ガスは地球温暖化の原因の一つと言われ、過去100年の間に地球の気温は0.3~0.6度も上昇しているそうです。このままだと2100年には、2度も上昇してしまうと心配されています。

特に都会では、舗装道路やビルの輻射熱、冷房の排気熱などが、光化学オキシダントの発生を促します。それらは空気中に漂って光化学スモッグとなり、気象条件を変化させます。温暖化が、いっそう進むことになります。

1997年「地球温暖化防止京都会議」が、開かれました。温暖化防止の施策が協議され、一人あたりの二酸化炭素の排出量まで話し合われました。「気候変動枠組条約」では、「大気中の温室効果ガスの温度を安定化させること」と、目的に明記されました。でも京都会議は絵に描いた餅になり、地球温暖化は進行しています。

それでも私たちは、賢く生き抜く知恵を持っています。
環境省も「クールビズ」と称して、軽装で仕事に携わることを提唱しました。吸湿発散性の良い涼感生地で衣服を作り、職場では涼しくかっこ良いスタイルで仕事をするようになりました。節電の知恵も、日常生活に根付いてきました。

冷房が無くても何とかやって行けます。やはり、脱原発で頑張りましょう!
広島の「原爆の日」に、こんなことを考えています。


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