幼児教育を語るひろば

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再び「いじめ」について

大津市の立中学2年男子生徒が、いじめを苦に自殺しました。学校や大津市教委は、いじめと自殺の因果関係を認めていなかったのですが、マスコミが取り上げて騒ぎが大きくなったせいか、市長も登場して再調査することになりました。

今朝の朝日新聞社会面に 「悔いる友」という見出しで、自殺した生徒の背景を探るために実施したアンケートの一部が紹介されていました。 (全校生徒約860人) 約150人の生徒が 「悩みに気づけなかった」と、自責の念や心の葛藤を記していたというのです。


いじめが、社会問題化してもう随分と経ちます。いじめの被害は少なくなったと思っていましたが、梅雨時のカビのように、相変わらず多く発生しているようです。それにいじめの対応策も、昔とあまり変わらないようです。


折しも同じ朝日新聞朝刊の連載小説は、中学生のいじめ問題をテーマにしています。 (「沈黙の町で」・奥田英朗作・唐仁原教久画) よく「小説の話だ」と軽視しがちですが、現実は小説を超えています。
弱肉強食は、自然界の理法なのでしょうか?


動物は、二つの理由で争うと言われます。いじめの遠因にもなっています。

一つは、順位制のためです。自分が社会(集団)の中で、如何に優位を保つことが出来るか? あるいは目指すことが出来るか? そのために争うのです。

もう一つは、縄張りを確保するためです。生きるために、ある一定の地域に自分の縄張りを主張して闘います。

もちろん、いじめの真の理由ではありません。いじめの力関係の底流にあるものです。いじめは、現代病とも言えます。現代社会の風潮抜きで、いじめを考えることは出来ません。


いじめられた子が自殺を選ぶのは、「自分は弱い人間」・「ダメな人間」という絶望感から、「死んでしまいたい」となるのです。それだけにいじめの早期発見・早期対応は、「待った無し!」です。だから家でも学校でも、子どもの今の人間関係を、しっかりと把握することが急務です。

と、 ここまでは誰でも言えることです。
でもいじめは、アンケートにもあったように、気づかなかったり傍観したりしているのが普通です。いじめは目立たぬ形で行われ、益々陰湿化しています。


かく言う私は、いじめにどう対応してきたでしょうか?

確かに現役時代、表沙汰になるようないじめは経験していません。だからと言って、いじめが無かったと言い切れるでしょうか? かっては、1000人近い児童数の学校にも勤務しました。管理職になってからも、数百人単位の学校ばかりでした。いじめは、あったはずです。

いじめが無いことを願う強い気持ちが、いじめを見過ごす結果になっていたのでは? これは、どこの学校にも有りうる考え方です。

いじめに対する周囲(子ども・親・教師)の反応が、鈍いのも現実です。関わりたく無い、隠そうという気持ちが強いのも事実です。

一部の教師には、「いじめる方も悪いが、いじめられる方にも問題がある。」という意識があります。結果的に、いじめへの対応が遅れます。


この世の中、子どもたちが溜まったエネルギーを、思いっきり発散する機会や場が少ないと言われます。
そのエネルギーが、いじめになって現れているのかも知れません。
子どもたちの身近に起こっている異常に早く気づくことが、いじめを無くす一番の近道です。

「どこの学校にも いじめはある!」 反省を込めて、今こそそう思います。


  

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